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山本作兵衛・ゴットン節 インデックス

1.山本作兵衛 ゴットン節の世界

1.始めに

私どもの郷里・福岡県田川市の友人と「炭坑節のルーツ」という話題になり、興味本位にネットで検索していると、山本作兵衛さんが歌った「ゴットン節」を聞くことが出来るページに行き当たりました。

西日本新聞 九州歌謡地図 
第3部・仕事唄の情景<13>ゴットン節
   腹底でつぶやくブルース

  (現在はリンク切れしています)


 作兵衛さんのゴットン節を文字化


 「炭坑の語り部」と呼ばれた山本作兵衛さんですが、ゴットン節の実演まで残していたとは。興味ある者にとってはなかなかの貴重品。
 「炭坑節」の話はさておき、まずは作兵衛さんの唄うゴットン節を文字に写したいと思いましたが、いざ取り組んでみるとこれがなかなかの難物。福岡県筑豊地方の方言と炭坑独特の言葉使い、さらに酔いが回って怪しい口元。

 普段なら「何を言っとるか、さっぱり分からん」と投げ出すところですが、そこへ飛び込んできたのが作兵衛さんの炭坑記録画がユネスコの「世界記憶遺産」登録というビッグニュース。
 もう少し粘ってみようとなったのは、我ながら現金な話です。

 全15曲のうち、自分の耳で聞き取れたのは2曲のみ、他の文献を参考にしながらの聞き取りで残り3~4曲までたどり着いたところで力尽き、歴史家・竹川克幸さんの力をお借りして全曲を文字に写すことが出来ました。


 炭坑記録画もあります


このコーナーでは、山本作兵衛さんのゴットン節の聞き取りを中心に、他の資料によるゴットン節の歌詞をご紹介、かつ「世界記憶遺産」に登録された炭坑記録画の中から数枚を、「文字が読める」をテーマに掲載しています。


映画「フラガール」と筑豊


昭和40年の常磐炭坑を舞台にした映画「フラガール」に、福岡県のお菓子「ひよ子」饅頭……。



2.山本作兵衛さんのゴットン節


 山本作兵衛さんが唄うゴットン節を聞く事が出来るのは下記のページです。

 西日本新聞 九州歌謡地図 
第3部・仕事唄の情景<13>ゴットン節 腹底でつぶやくブルース
     (ページ下の 歌を聞く→ で聞けます・現在はリンク切れしています)

 約10分、全15曲。作兵衛さんの音源と文字資料による突き合わせから、歌の内容は以下のように聞き取れます。

 作兵衛さんのゴットン節 聞き取り

1.卸底おろしそこから百斤篭ひゃっきんかご()のうて つやで出て来るわしが(さま) ゴットン
百斤=約60kg 様=様ちゃん=彼氏 作兵衛さんは「おろしそこ」と発音している
2.唐津下罪人げざいにんのスラく姿 江戸の絵描えかきもきゃきらぬ ゴットン
スラ=石炭を運ぶ竹篭(かご)
3.どうしょかいなのこの入れ墨は 山の男の度胸試し ゴットン
どうしょかいなの=詳しくは不明 別唄=どうしよかいなの此の刺青は どこのいれしゃが 入れたやら
4.親分頼むと血刀下げて 町の警察にちそこすむ ゴットン ゴットン
別唄=頭領頼むと血刀下げて かかに言わずに格子宿(刑務所)
ちそこすむ=不明だが出頭する雰囲気か ⇒ ご意見をいただきました。ちそこすむ=自訴する(下記リンク参照
5.金のあるうちゃ親分子分 金がなくなりゃ知らぬ顔 ゴットン
6.七つ八つからカンテラ提げて 坑内下がるも親のばち ゴットン
カンテラ=照明具 
7.あなた一番わしゃ私は二番方 上がり下がりで逢うばかり ゴットン
一番、二番、三番=24時間三交代制の勤務態勢
8.卸底おろしそこから吹いてくる風は 様ちゃん恋しと吹いてくる ゴットン
卸し=坑内に向かって深いほうに向かう坑道を「卸し」と言う。
9.娘喜べ今度の婿は 仕事嫌いで遊びき ゴットン
作兵衛さんは「あそびズき」ではなく「あそびスき」と発音している
10.つるはカンコづる先山さきやま年季 あと向きゃてれぞうで石ゃ出らん ゴットン
カンコづる=短いツルハシ 先山=石炭を掘る人 後山あとやま=石炭を運ぶ人  年季=若僧?年季奉公中の見習い てれ造=ぼんやりした人
11.のぼりやんなさんな目に石が入る おろしや掘んなさんな水がつく ゴットン
水がつく=?
12.してもせんとこく撰炭場せんたんばの娘 今朝も二度した薄化粧 ゴットン
こく=言う 春唄を匂わせる内容 「撰炭場の娘」→「撰炭場の小女郎」とする別唄もあり
13.おんな禁制高野の山に なぜにめまつが生えたやら ゴットン
めまつ=芽松、女松、女性器の隠語か?
14.奥州仙台伊達陸奥守、なぜに高尾がきろうたやら ゴットン
高尾=伊達正宗の孫・綱宗を振ったという吉原の太夫(たゆう)(伊達騒動)
15.女ながらも滝夜叉?姫は七十五人力 がまの術 ゴットン
滝夜叉姫(たきやしゃひめ)=伝説上の平将門の娘滝夜叉姫で妖術使い

 上記、西日本新聞のストリーミング音源は、プレーヤーには演奏時間31分と表示されますが、ファイルが破損しているらしく、演奏時間10分くらいのところで終了します。



「ちそこすむ」についてご意見をいただきました
              ありがとうございます。

     自分史図書館 福田康生様より

「町の警察にちそこすむ」は、「町の警察に自訴(じそ)をする」かと思います。筑豊の人で、ときどき「じ」と「ち」があいまいになる人がおります。「うどん」を「うろん」という人もいます。聞き間違われたとしても、無理はなかろうかと思います。
(関連リンク……「自分史図書館発行」筑豊の本シリーズ


3.ゴットン節とは

 ゴットン節は明治、大正時代の筑豊地方の炭田で、先山(掘削人)、後山(運搬係)と二人一組で坑内労働をする中で歌い継がれた仕事唄でした。
福岡県水巻町の

広報みずまき 1984年6月10日版 水巻昔話 炭坑唄(2) 柴田貞志・著

によれば、ゴットン節は明治の中頃から歌われた春歌(戯れ歌)「チョンコ節」が元になって明治30年頃には歌われていたようです。

 文献の中にもチョンコ節として紹介している歌詞
 親がちょんこして わしこしらえて わしがちょんこすりゃ意見する チョンコ
これを、別の文献ではゴットン節として同様の歌詞が紹介されています。
  うんがチョンコして俺を生みながら 俺がチョンコすりゃ意見する ゴットン

 仕事唄 

七つ八つからカンテラさげて 坑内さがるも親の罰 ゴットン
つるはカンコづる先山年季 後向きゃてれ造で石ゃ出らん ゴットン

 相聞歌・ザレ唄・バレ唄 

卸底から吹いてくる風は 様ちゃん恋しと吹いてくる ゴットン
油勘定して宵から寝たら 米の高いのに子が出けた ゴットン

 生活歌 

納屋がしとつきゃネズミがごとつく カカアが毒づく寝正月 ゴットン
(納屋がしとつく=じめじめする=(餅を)四斗つく ネズミがごとつく=五斗つく)

 そのルーツは佐賀県・唐津の炭坑からの人材の流入に見ることが出来ます。江戸時代、各藩が統制しながら細々と採炭事業が行われる中、佐賀・唐津藩では専門の坑夫を育てて藩の財政にあてていたようです。ゴットン節は唐津の炭坑夫によって歌われ始めた歌だそうです。そうしたなか明治に入って、石炭事業の開放と共に筑豊に炭坑主が大挙して出現することになり、唐津の掘削人夫達が筑豊で活躍するようになりました、

 上記西日本新聞の記事にもあるように、昭和初期にはほとんど歌われなくなっていたようですが、それは坑内労働が機械化されて、より効率を求めるようになり、ゴットン節の風景がなくなっていったからであると思われます。

sura.jpg) 深町氏の「炭坑節物語」では、ゴットン節のリズムは実際に採掘しているリズムと言うよりは、歩くリズム、即ち卸底への上がり下がり(仕事場への行き帰り)時のリズムによるのではないか、という意見があることに言及していました。
また、他の方の見聞によると、スラ(石炭を運ぶカゴ)を引くリズムも考えられるという意見もありました。



4.他の資料からのゴットン節

現在、執筆中。

このページのゴットン節は、ホームページ大分の盆踊り中の九州の唄 その4(た~)より、ゴットン節の部分を掲載しています(現在はリンク切れしています)。

様は一番方私は二番 上がり下がりで逢うばかり ゴットン
嫌な人繰り邪険の勘場 情け知らずの納屋頭 ゴットン
七つ八つからカンテラ提げて 坑内下がるも親の罰 ゴットン
卸底から吹いてくる風は 様ちゃん恋しと吹いてくる ゴットン
あんた卸かわしゃ昇り端 ともに会いましょ曲片で ゴットン
つるはカンコづる先山年季 後向きゃ照れ造で函なぐれ ゴットン
仕事するときゃ泣きべす顔で 酒を飲むときゃ腕まくり ゴットン
左三片の金板の上で くらがい拾うたが主ゃないか ゴットン
親が許して添わせぬなれば 遠賀下りは二人連れ ゴットン
文句こくならセナ棒でドタマ 晒し木綿が血に染まる ゴットン
昇り降りの石の目も知らで 先山さんとはシャラおかし ゴットン
卸ゃ水がつく勘場は堅い 特別切羽にゃ岩が出た ゴットン
親の因果が子にまで報い 長い坑道でスラを曳く ゴットン
----以下、別文書から----
頭領(納屋頭)頼むと血刀下げて 嬶につげずに格子宿 ゴットン
どうしよかいなの此の刺青は どこのいれしゃが 入れたやら ゴットン
朝も早よから カンテラ下げて 娘ざかりを間歩の中 ゴットン
汽車がものいうた遠賀の土手で 娘島田をただ乗しょと ゴットン


5.「炭坑節物語」からのゴットン節 1

「炭坑節物語」 多彩な炭坑唄の世界


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amazon へ

 1997年発行された深町純亮氏の「炭坑節物語」には、ゴットン節や小炭坑節(こやまぶし)、川船船頭唄など、炭坑節前史ともいえる炭坑唄が網羅され、著者収集の資料の中から多数の歌詞が披露されています。

 これらの唄は、地方の方言のほか、仕事の専門用語、特有のスラングなども含まれ、さらに意味が二重にかけてあったりするので、一読しただけでは意味が取れないものが多数ですが、ユーモラスな作品も多く、著者の丁寧な解題で興味深く読むことが出来ます

 深町氏の「炭坑節物語」ではゴットン節とその解題も重要なテーマとなっていますので、歌詞の意味については「炭坑節物語」をお読み頂くとして、ここではゴットン節の歌詞をご紹介します。本はアマゾンでお求めになれます(画像をクリック)。

 唐津の地名が含まれる唄   

唐津平戸のカンカン五尺 どんと下れば本五尺 ゴットン
唐津下罪人のスラ引く姿 江戸の絵描きも描きゃきらぬ ゴットン

 1.過酷な労働を唄ったゴットン節   

いやな人繰り邪慳な勘場 情け知らずの納屋頭 ゴットン
七つ八つからカンテラさげて 坑内さがるも親の罰 ゴットン
文句ぬかすとセナ棒でどたま サラシ手拭血で染める ゴットン
いかな下罪人も叩かるりゃ痛い 食わにゃひもじい着にゃ寒い ゴットン
汗は流れて褌しぼり 腹はへこたれ目はくぼむ ゴットン
坑夫商売乞食に劣る 乞食ャ夜ねて昼かせぐ ゴットン
卸ャ水がつく勘場は固い 特別切羽にゃ岩が出た ゴットン
昇りゃ掘んなさんな目に石が入る 卸ャ掘んなさんな水がつく ゴットン
高松炭坑は鬼よりこわい 黄粉黄粉の声がする ゴットン
ヤマの坑夫が人間ならば 蝶々とんぼも鳥のうち ゴットン

 2.ヤマの暮らしよさを歌ったゴットン節   

赤い煙突目あてに行けば 米のマンマがあばら食い ゴットン
炭(いし)はちょん函でも時間さえ経てば 上がりゃ二合半が腕まくり ゴットン
仕事せんでも時間さえたてば 上りゃはんごう酒みそ肴 ゴットン

 3.ユーモアあふれるゴットン節  

あなた百までわしゃ九十九まで ともにシラミがこじるまで ゴットン
ヒゲのあるのが現場員ならば うちの三毛猫も現場員 ゴットン
ヒゲをはやして金の杖ついて 小頭さんといやオイとぬかす ゴットン
納屋がしとつきゃネズミがごとつく カカアが毒づく寝正月 ゴットン
腹がせくとは横着腹よ 起けてママ食わんかコンコンそえて ゴットン
米のマンマにお菜はいらん コンコン一切れあればいい ゴットン


6.「炭坑節物語」からのゴットン節 2

現在、執筆中。

4.ゴットン節の相聞歌   

あんた卸かわしゃ昇りバナ 共に逢いましょ曲片で ゴットン
直り切羽に跡間つけて 可愛いあの娘に掘らせたい ゴットン
逢いたさ六寸見たさが四寸 逢いたさ見たさで尺になる ゴットン
いやな助さんイナゴかビキか おなごさえ見りゃ飛びかかる ゴットン
親が許して添わせぬなれば 遠賀下りは二人連れ ゴットン
サマは坑内わたしは家に 思い通わすケージ網 ゴットン
卸底から吹いてくる風は サマちゃん恋しと吹いてくる ゴットン
送りましょうか送られましょか せめて雪隠場の隣まで ゴットン
坑夫さんにはどこみて惚れた 切羽通いの晒兵児 ゴットン
サマちゃんサマちゃんと恋い焦がれても 末は添うやら添わぬやら ゴットン
人の恋路を邪魔する奴は 箱にしかれて死ねばよい ゴットン

5.バレ唄   

してもせんとこく選炭場の小女郎 今朝も二度した薄化粧 ゴットン
いれておくれよキンタマの根まで わしが仕立てたももひきを ゴットン
左三片の金板の上で くらがい拾うたが主ャないか ゴットン
卸片盤金板の上で 桃割れ拾うたが主ャないか ゴットン
お母ンあれ見よ地震が通る ゆンべお母ンと寝た地震 ゴットン
うめもいやだよさくらもいやよ ももとももとのあいがよい ゴットン
入れてまぜくるしの手に雨が降る やがてつきます酒のかん ゴットン
一の谷から攻め落とされて 今は亡びるトキの声 ゴットン
油勘定して宵から寝たら 米の高いのに子が出けた ゴットン
上野擂鉢ャ投げても割れぬ 娘十七、八ャ寝て割れる ゴットン
打ちも叩きも殴りもせぬに オソソが血を吐くこりゃ不思議 ゴットン
うんがチョンコして俺を生みながら 俺がチョンコすりゃ意見する ゴットン
わしのサマちゃん函乗りまわし 乗り方上手でなお可愛い ゴットン

 6.要解説のゴットン節   

うわ目四函切羽で二函 見込み取れたとすまし顔 ゴットン
お母ン銭呉れ切符はいらん 町でフジクラ草履買う ゴットン
町の女郎屋にスラセをつけて サマの浮気をかわしたい ゴットン
三十五間のこの走りこみ ノソン心で下りゃせぬ ゴットン
芯にかこつけ油にかぶせ 煙草ほしさに灯が消えた ゴットン
ジミも油も変わりはないが あなた見たさに火を消した ゴットン
何の罰やらまた函なぐれ いやな株出しせにゃならぬ ゴットン
来たか捲切函取りきらんかサマよ 取りきらにゃ取ってやろ腕ずくで ゴットン
ツルはかんこツル先山ねんき 後向ャてれぞで石ャ出らぬ ゴットン
下手な待ちピンやめちょいておくれ 捲いて差してオーライすりゃ手間が損 ゴットン
卸底から百斤篭かろうて 荷負うて上がるわしがサマ ゴットン
どうせ二番方場打ちとみえた 用意しておけ朝顔を ゴットン
焚けよ朝顔肝ふと燃やせ 親爺ャ日の丸石炭はただ ゴットン
鳥というても羽のないトリは 野取棹取大工の小取 ゴットン


7.立ち掘り 38.2×54.4cm

作兵衛さんの記録画中の文章を書き写すにあたっては正確を期していますが、コンピュータのJIS漢字コードにない文字は、 同意の漢字に置き換えています。また、改行は画面上の読みやすさを優先して、作兵衛さんの改行には従っていません。


絵の中に書かれた文章

明治中期 採炭夫 サキヤマ、アトヤマ、ヒトサキ、サシ。二人組の事。
炭丈 スミタケ 一、五〇メートル以上あれば 立掘りができる、軟い部分をスカシてほるが なるべく 中を深くスカシこむが 段取りがよい、
 60センチ余り スカシて下盤石を打あげ次に上ツリ石を叩き(ホリ)落す、
切羽面にボタを挟んでおらぬをキリタオシと言うて 坑主(コウシ)のドルバコである、
筑豊のヤマはボタを含んでおる処が多い、
尤も低層炭は ホンスばかりであるが量少、 昔は天井やバンにボタを含みし 粉炭層は残していた。

切羽を平面に採掘する事を ツラドリと言うて
アラコト切羽では働して能率があがらない。
いわゆる巧拙の差 甚大
軽働多産、
重働少産、

先山は右ききでも
左でツルバシを
使わねば一人前
ではない。


(左下) 明治三十二年頃
一函切賃20銭
堅い処は25銭
サシで五、六函位
勘引二合以上それは
あがり賞与が一割
見込みつくから一合引
出炭奨励金
白米一升十銭
沢庵コンゝ一本一銭
かんしょ(?)サツマイモ 一斤一銭
一銭五/



8.乗廻し棹取 ヤマ一番のオメカシ男
38.3×54.4cm

現在、執筆中。

絵の中に書かれた文章

明治中期 乗廻し棹取 ヤマNo1ノオメカシ男。
其の扮装を御覧じませ ヤマの乙女は一寸
見染めて恍惚と 恋に心も掻乱れ
狂う者さえ おったと言う、
先づ白布でうしろ鉢巻目の釣る如く、
けばゞしいズボンつり
仕立おろしの白い襯衣
同じ紺の洋袴に脚絆に足袋
手には磨き真鍮のカンテラ
光り輝くテラシ(反射板)をつけ
進行中の炭車に小鳥の様に
ピョンととび乗る艶と酔.

わしのサマちゃん
函のりまわし
のりかた上手で
なおかわいーー ゴットン

(左下) 摺瀬のある所(ヤマ)は
コースもとには乗らず、あいのりする
サシ(カラ)函は必ずコースにのる
あいのりは危険

仕立おろしの白い襯衣 : 襯衣=シャツと読んでよさそう。
わしのサマちゃん……ゴットン :このゴットン節は、この絵の中では「函(トロッコ)の乗り方を褒める」と読めますが、深町氏の「炭坑節物語」ではバレ唄(猥歌)として分類されています。



9.ノゾキ 38.2×54.1cm


絵の中に書かれた文章

明治三二、三年頃 ヤマの訪問者 ノゾキ 大人二銭、小人壱銭
ヤマの公休日は月に一回交換日(サンニョウ日)であった、当日をアテこんで ヤマの訪問者がおしかけて来る その中でノゾキが一番派手であった、大型は夫婦づれで共演する、小型の一人弁士は平日でも来訪していた、
硝子レンズ丸径60ミリ位が10個以上ズレ違いにつけてある。 看板叩きと云う説明者は長さ九〇センチ位の細竹で上板棚を割れぬばかりに叩き踊る様な姿勢で調子つけ、浪曲と一ツトセ節をチャンポンした様なフシで唄う、うたの切目にチョイト、チョボ、チョボ、チョボ、チョイト、チョボと囃ハヤシたて大衆の観心を煽りたてる、
看板絵は色彩濃厚に描いてあり、美しく人目をひきつける、 中絵は幾分粗末だが障子など薄紙を貼って背後の光線を利用していた、これを十五、又は二十枚位とりかえる。
 ノゾキの画は 新旧の劇ものもあり 当時の突発事件が多かった、ヤマの人は殺ばつな画面を好んでいた事は勿論であった。
 此 事件は 明治十二年六月二七日(下相州)神奈川県大住郡真土村で惹起した集団殺人である、強欲鬼戸長松木長右エ門一家七人を皆殺して放火、首魁者は村民 冠弥右エ門外二十四人、馳せつけた消防手に火を消すなとたのむ場面もあって、ヤマ人に大ウケであった。
蛇足
ノゾキは神祀祭礼にはつきものであってヤマ以外が多かった。


看板の文字

ノゾキの看板の題名の文字は 下相州 鬼戸長一家皆殺焼討事件 明治十二年 とあります。
6枚の絵のうち、上段左上には 首魁 冠 右上には 鬼 長 とあり 下段左の絵には 村民 右端の絵には 貧者搾取 とあります。


真土事件

以上の文字と絵による描写だけでも、当時の様子が生き生きと伝わる感じがしますが、皆殺しにされた「松木長右エ門」、首謀者の「冠弥右エ門」などを検索すると事の成り行きをwikipediaなどで知る事が出来、作兵衛さんの絵が非常に具体的かつ正確に当時の状況を再現したものである事が分かります。
  →真土事件(Wikipedia)



10.映画「フラガール」に見る筑豊

借金取りのおみやげが「ひよ子」饅頭


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 福島県いわき市にあった常磐炭坑の大幅な規模縮小にともない、労働場所の確保と町おこし事業として立ち上げた「常磐ハワイアンセンター」の誕生物語を描いた、映画「フラガール」。
 この映画の中で、福岡県の元炭坑の街・飯塚市の名菓「ひよ子」饅頭が使われていることに気がついた方は少数派でしょう。

hiyoko.jpg) 映画の舞台は昭和40年のいわき市。フラダンスの指導のために東京から転居して生活を始めた平山まどか(松雪泰子・右)のもとを、借金取り石田(寺島進・左)が訪ねます。東京からやってきた石田が「お土産」と言ってまどかの前に投げ出したのが、件の「ひよ子」饅頭の箱詰めでした。

昭和40年、東京に「ひよ子」はあったのか


ひよ子

 上記画像で借金取り石田が抱えているのが、この箱の同等品だと思われますが、なぜ、この場面で「ひよ子(饅頭)」か。「ひよ子饅頭」の地元で育った、少々年齢の高い私どもは、「ひよ子が東京進出したのはいつだっけ?」となります。下記のひよ子本舗吉野堂のホームページ内「ひよ子本舗吉野堂物語」によれば、「東京オリンピックを契機に昭和39年に東京進出を果たす」とあります。とすれば、昭和40年当時の東京で、最も新しいお土産が「ひよ子」であったというシチュエーションは自然だといえます。

 飯塚市を含む筑豊と呼ばれる元炭鉱地帯は、その経済発展のために製菓を扱う様々な企業が発展しました。「ひよ子」(饅頭)や「チロルチョコレート」などが現在でも全国区で知られています。そして、常磐炭坑よりいち早く炭坑閉山の嵐に見舞われていた筑豊地方から、東京進出で心機一転を図ったのが「ひよ子」の吉野堂でした(「ひよ子本舗吉野堂物語」より)。
 借金取り石田に持たせる、数あるおみやげ候補から「ひよ子」を見いだしたのは、炭坑つながりに縁を見いだした、映画製作者のセンスなのでしょう。

関連リンク