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2019-05-23ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」

ジャガイモは大地のリンゴ

「ジャガイモを食べる人々」
「ジャガイモを食べる人々」
アムステルダム・ファン・ゴッホ・ミュージアム

ご注意:ご覧の小さな画像は、形が見やすいように、明るく修正しています。拡大した画像は、ミュージアムからの画像(修正なし)です。

 ゴッホの「ジャガイモを食べる人々」(1885年5月)。オランダ語のジャガイモAardappelは、大地の(Aard)リンゴ(appel) の意味で、 ゴッホはジャガイモを食べること自体に宗教的意味を見いだしています。

おや? コーヒーがある

 「ジャガイモを食べる人々」のタイトルは、オランダ語で De aardappeleters 英語で The potato eaters 、いずれも「ジャガイモしか食べられない貧農の人々」の含意があります。

 かうひい屋がこの絵に注目するのは、右手の女性がコーヒーらしきものを注いでいるからです。

コーヒーを淹れる婦人

 そして「こんなに貧乏な生活の中で、外国から輸入したコーヒーを飲むのか?」という素朴な疑問、さらに「これはチコリ・コーヒーというものだろう」という自己解決。また「ゴッホがお土産に渡したコーヒーかも知れない」と勝手な推察を加えて違和感を消し去っていました。

 この文章を書くために Aardappel koffie Gogh (オランダ語で ジャガイモ コーヒー ゴッホ)で検索してみると、いくつかの文章がコーヒーの存在への違和感を述べていましたが、その理由が私の想像とは違っていました。それは「貧乏だから」ではなく「ジャガイモを食べる時にコーヒーを飲むことに違和感」と言うのです(「え、そうなのか、シラナカッタ……」)。

少女の登場とコーヒー

 この絵にコーヒーが登場する理由は、創作過程にあります。最初に想像していた以上に、コーヒーはこの絵の中で大きなファクターでした。

 ゴッホはここ数年間、ミレーや、ゴッホ自身が「オランダのミレー」と尊敬するジョゼフ・イスラエルの影響を受け、ニューネン(Neunen)の村周辺で村人や生活のスケッチを繰り返して「農民画家」として修行を積んできました。そして「ジャガイモを食べる人々」はその集大成の意味を持っていました。

 ゴッホは念入りに構図の修正を繰り返し、行き着いた先がコーヒーを注ぐ女性でした。

 このページの図に見るように、最初は4人の食事風景の構図でした。その後中央に少女(架空)の後ろ姿を配して、画面に遠近感を与えることに成功していますが、テーブルの中央にあったジャガイモの皿は、少女で隠されるために、左側に寄ることになりました。

 ジャガイモの皿は、右側の女性からは遠くなり、女性の存在が不自然になります。結果として、右側の女性がコーヒーを注ぐ姿勢をとることで全体のバランスをとったのでした。

少女の後ろ姿とコーヒーは、ほとんど同時にセットで現れたことになります。

「真実の姿」

 たくさんの資料を読んだわけではありませんが、コーヒーの種類については「ゴッホの寄付(本物のコーヒー)」「チコリコーヒー」と2種類の意見があり、これは想定内でした。

 しかし、コーヒーの存在について違和感を述べる人は「ジャガイモを食べる時にコーヒーを飲むことに違和感」で一致していて、意表を突かれました。ただ、いくつかの文を読み進むと、「食事中にコーヒーは……」という表現があり、これは納得です。

 ゴッホの手紙などで、この絵は「真実の姿を」描こうとした、とありますので、リアルでない部分に突っ込みが入ったりしますが、 今日的なリアル感と100年前の「真実の姿」とは、すこし乖離がありそうです。

 ゴッホにとって、注がれる液体がコーヒーであるか、他の飲み物であるかは、大きな問題ではなかったのではないかと思われますが、…………それとも、コーヒーの黒が画面の暗さにマッチするでしょうか。何はともあれオランダの農村でジャガイモ(大地のリンゴ)を食べると言うシチュエーションは、この絵にとって欠かせないポイントになっています。

「コーヒーの歴史:飲み物がヨーロッパを征服した方法(オランダ語を自動翻訳)」
追記:このページ(オランダ語)では、「ジャガイモを食べる人々」を例にとって、「この絵は貧しい家庭を描いているが、この時代にはコーヒーは高価ではなくなり、庶民的な飲み物になりました」と論じています。
コレクションのページ(ゴッホ・1885年)(英語)
アムステルダム・ファン・ゴッホ・ミュージアム(英語)内のページ。ページ左側のチェックの欄を、「ゴッホ、1885年」にチェックしてリンクしています。チェックをいろいろに変えてお楽しみ下さい。