最近、モーツァルトの姉の、マリア・アンナ・モーツァルト(通称ナンネル)のダンナの肖像画に、コーヒーカップを見つけました。
ナンネルはモーツァルトの5才年上の1751年生まれ。モーツァルトの天才に気づいた父親レオポルトは、モーツァルトを紹介と研鑽の旅に連れ出し、ナンネルも同行して演奏し、子供の頃はモーツァルトとともに、「天才」と言われていました。
父親は、「息子が出世したら家族で楽しく安楽に暮らす」を夢見るステージパパでしたが、娘には「女性としての役割」を強く要求する、旧弊な父親でした。息子は、手綱を引こうとする父親に反発して、ザルツブルクからウィーンに出て、コンスタンツェと結婚しました。ナンネルは、落胆する父親に同調して、モーツァルトとの関係も冷淡なものになっていきました。
ナンネルは33才の時、父親の勧めで、裕福だが、2才から13才までの5人の子持ち、15才年上、再々婚の男爵と結婚しました。嫁ぎ先はザルツブルクから30km離れた、田舎町でした。
上がその、ヨハン・バプテスト・ベルヒトルト=ゾンネンブルク男爵です。この肖像画は以前から「何かおかしい」と思っていました。最初の肖像画はモーツァルト家の有名な肖像画、偶然ですが同じ年、1780年に描かれたようです。ナンネル29才、ベルヒトルト氏44才です。二人は4年後に結婚します。
何がおかしいのか、ベルヒトルト氏に気取った感じがしないことです。この時代の肖像画は、顔が似ているかどうかはともかく、身なりや装飾が地位や名誉の象徴として描かれ、一世一代の気張った物がほとんどです。
ナンネルなどは、この肖像画のために、宮廷に仕える女性に頼んで、髪を作ってもらったそうです。母親は2年前に死亡、モーツァルト自身も不在の時に描かれたもので、ナンネルと父親だけが頑張ってセッティングしてポーズをとったのでしょう。
ベルヒトルト氏の肖像画は、当時としては珍しく、顔と表情が写実的です。「人形さん」のようではなく、しっかりとした意思を持ってこちらを見ています。おそらく顔もしっかり似ているのだと思います。
しかし顔の大きさと胴体や、腕の長さなど、バランスが不自然で、画家の力量に疑問があります。そのせいで、ざっくばらんな雰囲気なのかと思っていましたが、コーヒーカップに気がつくと、意識的にフランクな感じを演出しているのだと、見方が変わります。
この時代、肖像画に食卓や嗜好品など、「日常生活の一端」が描かれるのも希ですから、もしかすると、肖像画の小道具としてコーヒーが使われた、最も早い例かも知れません。
この時代のコーヒーは、コーヒーと水、砂糖を小鍋に入れて、じっくりと煮出すトルコ・コーヒータイプで、飲んだ後は、カップの底にコーヒーの粉がたっぷり残っているはずです。
見た目は80ccほどが似合うカップに、さらにたっぷりとコーヒーを注いでいるように見えます。画家がコーヒーの液面を見せたかったのではないかと…………これは、勘ぐりです。
この油絵は、あまり厚く塗っていないようで、画布の凹凸が見えていて、コーヒーカップは、貫入(細かいひび)が入った古い陶器のように見え、ちょっとした風格があります(私は好みです)。
中央手前の目立つところに、わざわざソーサーの欠けた部分が描かれています。男爵様の肖像画に欠けたコーヒーカップ。「この時代の肖像画は見栄を張るもの」という固定観念の私には、意味が分かりません。
この絵の細部を見ると、鬘は白ですが、右肩にカールした黒い髪を覗かせていて(当時はそういうお洒落もあったそうです)、しゃれっ気も見せています。
拡大してみて初めて気がつきますが、左手の小指に小さな石が入った細い指輪をしています、女性物のような印象(前妻の形見?)で、地位を象徴するものではない感じです。コーヒーカップとこの指輪が、この絵の、当時の肖像画として異質なところです。
メモは最大のヒントですが、最後の行に Baron(男爵)らしき文字が見えますが、他が読めません。ドイツ語に堪能なら、部分的に読める字形から、単語を推測することも出来そうですが。「弁護官」と訳される地域の要職にあったようですから、おそらくそれらしきことが書いてありそうです。
拡大してみると、上半分の、頭の部分と背景の絵の具の痛みが激しいようで、そのために人物がぼやけています。240年前は、もっとくっきりした絵だったろうと想像します。
年表を見ると、1780年のこの年、ベルヒトルト氏は10年連れ添った最初の妻を、前年11月に(おそらくお産の時に)亡くしたばかりで4人の子持ちでした(その時の子は生きています)。翌年'81年に再婚しますが、その妻も子供1人を残して、'83年になくなり、‘84年にナンネルが3番目で最後の妻となります。
この肖像画の年は、ベルヒトルト氏にとって大変な年でした。どのようなきっかけで肖像画が描かれたのでしょうか。
かうひい屋の珈琲ゼリーは「カップゼリー」と称してきました。柔らかく作っているので、別皿の上にひっくり返すと形が崩れてしまいます。
最近、モーツァルトの姉のマリア・アンナ・モーツァルト(通称ナンネル)のダンナの肖像画に、コーヒーカップを見つけました
かうひい屋のメニューには、冷たいコーヒーとして「オ・レ・グラッセ」というのがありました。下はシロップが入った甘いミルク、上はブラックのままの冷たいコーヒーです。トップにクリームを流して仕上げます。
東急ハンズの池袋店が今年(2021年)9月に閉店するそうです(3月19日新聞)。東急ハンズの実店舗に行ったことがない私も、池袋店には思い出があります。
そうした記事の中で、アメリカの感染症専門医の話として「朝の一杯のコーヒーを飲むと、朝食中に味と匂いの喪失が検出される可能性がある」というのがありました。
これはおそらく、砂糖入りや、ミルク入りではない、ブラックコーヒーで、より有効だろうと思います。
かうひい屋の、開店以来の人気商品に「珈琲のババロア」がありました。当店が得意とする深煎り珈琲のエキスを生かした、卵と生クリームを使った冷菓です。
閉店後、あるお客様に「いつか『珈琲のババロア』のレシピをご披露しましょうね」と話していました。
「福岡ではこうやってニンニクを潰して…………」と、ギュッと力を入れると、「あ゛っ!」という声がしました。顔を上げると、私の目の前で、店主さんがしかめ面をして、指で目をこすっていました。ニンニクの汁が飛んだようです。
昨日は、コーヒー豆の発送の日でした、
かうひい屋では、郵便局のレターパックは、実店舗の営業時代は、ヤマト運輸の補助として、少数ながら月に何度か使っていましたし、付き合いは長いのですが、箱を折ってきれいな箱形を作るのがどうも苦手で、いつも歪(いびつ)な出来上がりになっていました。
福岡市周辺のラーメン文化の、一つの特徴は「替え玉」だと思います。ラーメンのスープを残して「替え玉」を注文すると、麺だけを茹でて提供してくれます。
福岡市周辺では「インドカレー専門店」にも「替えナン」というものがあります(どこにでもあるわけでは、ありません)。ヨソの人から見れば意表を突いたメニューでも、替え玉文化圏にいると普通に見えるから不思議です。
ミルクとコーヒーは大変相性がよく、「コーヒーの歴史が始まって以来、ミルクとコーヒーは友達でした」と言いたい所ですが、伝統的なコーヒーの淹れ方である、小鍋にコーヒーの粉を入れて煮出すトルコ式では、粉が混じっていてカフェ・オ・レにするのは少し厄介です。
ある時ラジオをつけっぱなしでうたた寝している時に、なにか聞き覚えのある曲が流れてきました。寝ぼけたまま「タンタンたぬき♪」と悟った私は、まさに反射的にガバッと飛び起きて、すぐにラジオ局サイトのタイムテーブルで、曲名を検索しました。
状況につられて、新型肺炎関連の記事を書き始めましたが、こういう時こそ,コーヒーの価値を再認識したいと思い直し、映画の話を。「ひとときの浮き世離れで鋭気を養い、現実の世界へ再突入」というのが、コーヒータイムの価値だと思います。
何気なくネット検索をしてみると、「フランスの有名陶器メーカービレロイ&ボッホ社の子息で……」とあり、興味をひかれました。
この鍋料理の食べ方は、塩を入れずに椎茸の出し汁とゴマ油だけで煮込んだ白菜と肉類を、取り皿で薄い塩味をつけながら食べます。自然に、塩味のあるところと、ないところが交互に現れることになり、
扁炉鍋は、舞台美術家・妹尾河童氏のエッセイ集「河童のスケッチブック」(1999年第1版)で初めて紹介され、「中国大陸に長く住んでいた人が
「河童のスケッチブック」ではおかしなことが書いています。 椎茸のだし汁を捨てないと2度も強調していますが、この場面でだしを捨てる人などいるのでしょうか。
昭和の戦前から「吾らのテナー」として知られた、テナー歌手藤原義江氏は、今やSP時代の音源でしか聴くことは出来ませんが、かうひい屋も含めて年配の方は(名前は)よく知っている存在でした。
夏になると、法要のために福岡県柳川市を訪ねます。季節柄、「かき氷でも食べようか」と言うことも多く、かつ柳川は、水郷の町、北原白秋や、城下町を売りにす
スウェーデンのグスタフ3世は、コーヒーとティーの有毒性を証明するために、死刑囚を使って実験することにしました。
ドイツ語でkaffeeを検索してみれば、Beethoven Kaffee または Bach Kaffee などという店名や商品名が出てきます。そうでした、バッハは「コーヒー・カンタータ」を作曲しているくらいコーヒーには馴染みがありますし、かうひい屋でも何度か文章にしたことがあります。
コーヒー豆の焙煎度(煎った度合い)は、一般に8つの段階で表現されます。 さらに深煎りの7.フレンチ・ローストや8.イタリアン・ローストになると、エスプレッソ・コーヒーとして使われるほかは、苦み走ったアイスコーヒー用などとして使われ、
かうひい屋では,アイスコーヒーのことを「冷たい珈琲」と呼んでいました。当店の普通の暖かいブレンド、イタリアン・アロマ・ブレンドをつめたく冷やしたという意味で、当店では暖かい用のブレンドとアイス用のブレンドの区別がありませんでした。
「降雨の現況」を知るために頼りにしていたのがXRAIN(エックスレイン)で、「地図上に雨量をリアルタイムで表示する」サイトです。災害時のみならず 、日常生活にも役立つサイトです。
前日の夜にアップされた、英彦山「四王寺の滝」の凍結の様子でした。まさに日本画のような、見事な雪景に驚きました。掲載していたブログ「英彦山からの便り」の当日の記事によると、
二人の男女の像は、かうひい屋の完全オリジナルではありません。右の男性はアールヌーボー時代のカリカチュアからの模写、女性は一応かうひい屋のオリジナルと言えます。
何年か前、漫画家の松尾龍之介氏が当店に立ち寄られたことがあります.その時のお話です。
かうひい屋には、「珈琲の話」と題した小冊子を作ってカウンターに置いていました。
さて、お問い合わせの件ですが、おっしゃるようにまさしくパイプでございます。 当時ヨーロッパではやっていた、「クレーパイプ」と呼ばれるものです。 その名の通り、白い粘土を焼いてできており、折れたものや欠けたものなどたくさんの破片が出島の発掘調査では出土いたし
かうひい屋の名前の由来となった「かうひい」の記述がある、江戸時代の京都の医師・広川獬(かい)が 著した「長崎聞見録」。最近は複数のサイトで本書の画像が公開されています。
テーブルの上にはカップの他、シュガーポット、ボール、ミルクピッチャーとおぼしき磁器、そして右側には背の高いポットがあります。
きゅうすスキッターをコーヒーポットにつけて、安定した点滴状態を作り出すことが出来ます。
現在の安定形です。奥行きを深くして、ポットの内面とワイヤーの接触部分を多くした結果、柔らかなバネでも安定するようになりました。
グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)とは、Grandma Moses で画像検索をすれば、きれいな絵がどやどやと出てきます。アメリカで知らない人はいないといわれるほど人気の画家でした。
この絵にコーヒーが登場する理由は、創作過程にあります。最初に想像していた以上に、コーヒーはこの絵の中で大きなファクターでした。……
かうひい屋のコーヒー豆の袋に貼っていた、当店のロゴマークのシールが、残り数十枚になりました。そこで急遽、左のようなシールを作成しました。以前より小型になりました。実は、2018年6月の閉店時点では、2000枚ほどの残りがあったのですが、
妖艶なお母さんが何か食品を混ぜていて、側にはNESTLÉ'S MILK FOODの缶。これはネスレが開発して発売し、すでに国際的な成功をおさめていた……
最近、お客様から「よく淹れるのはマンデリン……」という話を伺いました。
「マンデリンが好き」
「コーヒーの酸味が苦手で……」
この2つのキーワードは、かうひい屋ではよく話題が広がるテーマでした。
ある人が、アイスクリームに濃厚なコーヒーをかけて食べてみたところ「おお、旨い!!」ということになり、人々の間に一気に広がっていった、 そんなことを想像させる、メニューです。
かうひい屋がグラニテを知ったのは約30年前、かうひい屋開店の頃でした。「(古代)ローマの食卓」と言う本で、果物のジュースを雪と塩を使って凍らせ、欠き砕いた物ということでした。
お客様と話をしていて「私は時々朝に、砂糖で甘くした牛乳を温めて、別々のカップでコーヒーと牛乳を交互に飲む」 と言う話をしたところ、興味を持ってもらえました。