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2023-07-06 モーツァルトダンナコーヒー

ナンネル

 最近、モーツァルトの姉の、マリア・アンナ・モーツァルト(通称ナンネル)のダンナの肖像画に、コーヒーカップを見つけました。

 ナンネルはモーツァルトの5才年上の1751年生まれ。モーツァルトの天才に気づいた父親レオポルトは、モーツァルトを紹介と研鑽の旅に連れ出し、ナンネルも同行して演奏し、子供の頃はモーツァルトとともに、「天才」と言われていました。

モーツァルト一家 1780年

 父親は、「息子が出世したら家族で楽しく安楽に暮らす」を夢見るステージパパでしたが、娘には「女性としての役割」を強く要求する、旧弊な父親でした。息子は、手綱を引こうとする父親に反発して、ザルツブルクからウィーンに出て、コンスタンツェと結婚しました。ナンネルは、落胆する父親に同調して、モーツァルトとの関係も冷淡なものになっていきました。

ナンネルのダンナ

 ナンネルは33才の時、父親の勧めで、裕福だが、2才から13才までの5人の子持ち、15才年上、再々婚の男爵と結婚しました。嫁ぎ先はザルツブルクから30km離れた、田舎町でした。

ベルヒトルト男爵 1780年

 上がその、ヨハン・バプテスト・ベルヒトルト=ゾンネンブルク男爵です。この肖像画は以前から「何かおかしい」と思っていました。最初の肖像画はモーツァルト家の有名な肖像画、偶然ですが同じ年、1780年に描かれたようです。ナンネル29才、ベルヒトルト氏44才です。二人は4年後に結婚します。

 何がおかしいのか、ベルヒトルト氏に気取った感じがしないことです。この時代の肖像画は、顔が似ているかどうかはともかく、身なりや装飾が地位や名誉の象徴として描かれ、一世一代の気張った物がほとんどです。

 ナンネルなどは、この肖像画のために、宮廷に仕える女性に頼んで、髪を作ってもらったそうです。母親は2年前に死亡、モーツァルト自身も不在の時に描かれたもので、ナンネルと父親だけが頑張ってセッティングしてポーズをとったのでしょう。

 ベルヒトルト氏の肖像画は、当時としては珍しく、顔と表情が写実的です。「人形さん」のようではなく、しっかりとした意思を持ってこちらを見ています。おそらく顔もしっかり似ているのだと思います。

コーヒーの意味

 しかし顔の大きさと胴体や、腕の長さなど、バランスが不自然で、画家の力量に疑問があります。そのせいで、ざっくばらんな雰囲気なのかと思っていましたが、コーヒーカップに気がつくと、意識的にフランクな感じを演出しているのだと、見方が変わります。

 この時代、肖像画に食卓や嗜好品など、「日常生活の一端」が描かれるのも希ですから、もしかすると、肖像画の小道具としてコーヒーが使われた、最も早い例かも知れません。

男爵のコーヒーカップ

 この時代のコーヒーは、コーヒーと水、砂糖を小鍋に入れて、じっくりと煮出すトルコ・コーヒータイプで、飲んだ後は、カップの底にコーヒーの粉がたっぷり残っているはずです。

 見た目は80ccほどが似合うカップに、さらにたっぷりとコーヒーを注いでいるように見えます。画家がコーヒーの液面を見せたかったのではないかと…………これは、勘ぐりです。

 この油絵は、あまり厚く塗っていないようで、画布の凹凸が見えていて、コーヒーカップは、貫入(細かいひび)が入った古い陶器のように見え、ちょっとした風格があります(私は好みです)。

 中央手前の目立つところに、わざわざソーサーの欠けた部分が描かれています。男爵様の肖像画に欠けたコーヒーカップ。「この時代の肖像画は見栄を張るもの」という固定観念の私には、意味が分かりません。

細かく見ると……やっぱりおかしな絵

 この絵の細部を見ると、鬘は白ですが、右肩にカールした黒い髪を覗かせていて(当時はそういうお洒落もあったそうです)、しゃれっ気も見せています。

 拡大してみて初めて気がつきますが、左手の小指に小さな石が入った細い指輪をしています、女性物のような印象(前妻の形見?)で、地位を象徴するものではない感じです。コーヒーカップとこの指輪が、この絵の、当時の肖像画として異質なところです。

 メモは最大のヒントですが、最後の行に Baron(男爵)らしき文字が見えますが、他が読めません。ドイツ語に堪能なら、部分的に読める字形から、単語を推測することも出来そうですが。「弁護官」と訳される地域の要職にあったようですから、おそらくそれらしきことが書いてありそうです。

 拡大してみると、上半分の、頭の部分と背景の絵の具の痛みが激しいようで、そのために人物がぼやけています。240年前は、もっとくっきりした絵だったろうと想像します。

大変な年

 年表を見ると、1780年のこの年、ベルヒトルト氏は10年連れ添った最初の妻を、前年11月に(おそらくお産の時に)亡くしたばかりで4人の子持ちでした(その時の子は生きています)。翌年'81年に再婚しますが、その妻も子供1人を残して、'83年になくなり、‘84年にナンネルが3番目で最後の妻となります。

 この肖像画の年は、ベルヒトルト氏にとって大変な年でした。どのようなきっかけで肖像画が描かれたのでしょうか。

(リンク)

ナンネル(マリア・アンナ・モーツァルト)(1751-1829)
レオポルト・モーツァルト(1719-1787)
ヨハン・バプテスト・ベルヒトルト=ゾンネンブルク男爵(1736-1801)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)