2006年の記事をほとんどそのまま再掲載しています。
2006年7月16日(日曜)、長崎・出島を訪ねました。出島は現在、建物の3分の1?ほどが復元されています。建築様式や間取り、調度品などそれぞれの興味によって見所は様々だと思いますが、かうひい屋がついシャッターを切ったのはテーブルの上の食器類でした。
お楽しみいただければ幸いです。
テーブルの上にはカップの他、シュガーポット、ボール、ミルクピッチャーとおぼしき磁器、そして右側には背の高いポットがあります。
カップの容量は、右のウエッジウッドの有名な製品とほぼ同等かお尻が細い分、小さいかも知れません。紅茶カップなのでしょう。大きさのわりには取っ手が小さく、つまむタイプです(指が入らない)。
しかし、取っ手をつまんだ時に指の流れが良さそうなので、安定感はあると思います。例に出したウエッジウッドのカップよりも薄くて軽いように思いました。ソーサーが深いのが印象的です。
部屋の片隅でぐいと突き出た印象のポット。全体は50センチくらいありそうです。ポット自体も背が高いのですが、その下に台座があります。模様で網目状になっていて中にアルコール・ランプかろうそくを入れて熱を加えるようになっているようです。
先ほどのテーブルの反対側の窓際に素敵に飾られた酒器セット。あまり写っていませんが、椅子が同じセットではなく、デザインがバラバラなのは復元のご苦労なのかも知れません。
テーブルの左側に白い木製のゴルフパットのような恰好をしたものがあります。むしろ、パイプの柄がとても長いと表現した方が良さそうです。これはたくさんあり、別のところにも同様に立てかけてありました。
柔らかそうな木肌そのままの素朴な作りで、下の太くなったところにはパイプのような大きな穴があります。お客さんに勧める使い捨てのパイプ??。そんな想像もしたのですが、これの利用法は確かめてきませんでした………。
手前のお盆にはカップ、シュガーポット、ピッチャーの他、磁器製のポットもあります。後ろのポットも秀逸です。左奥に写っている、室内用の湯沸かし?も見逃せません。
カップは、これはコーヒー用だと決めつけて良さそうです。容量は、8分目まで入れて約100ccほどだと思います。少し濃厚なコーヒーと考えるとちょうどよい大きさです。シェイプは唇の触れ具合が良さそうなカーブを描いていますが、飲み口の先端は意外に分厚そうです。
底が丸いですが、このカップが正確な復元だとすれば、コーヒーはトルコ式ではなく、漉したものではないかと、うがった推理も出来ます。トルコ式の場合、丸い底だと下に沈んだコーヒーの粉が移動しやすく、飲みにくいかも知れません。
このテーブルもポットが面白いです。二つの取っ手を持って、両手で抱えるタイプですね。ポットと言うより配給器、ディスペンサー………何というのでしょう。足が3本あります。その下にアルコールランプかローソクを置いて加熱するようになっています(ポットの下の黒い部分)。
秀逸なところは、三方にコックが付いていて、テーブルの真ん中に置いて、お客が自分で好きな時に飲み物を取り出せるようになっています。
そのコック、写真では背景と同色でよく分かりませんので、写真に細工をしてポット以外の周りの背景を薄くしてみました。こうしたコックが120度ごと、三方に付いています。
このコックの形状は、オランダ語でカラン(鶴)と呼ばれ、現在でも日本の水道関連で、蛇口を意味する用語として残っています。
「室内用の湯沸かしも見逃せません」とは書きましたが、ものは言いよう。私も写真に写っているのを後で発見して、「面白い」と思っているところです。テーブルで隠れてしまって。惜しいですね。
シャンデリア。もちろん今は電気ですが、暖かみのある光を投げていました。天上の壁紙も当時の復元だそうです。
長崎・出島の食器達(1)(2)は復元なった出島の建物の2階部分でしたが、調理部屋は1階にあります。
現在は長崎歴史文化博物館に所蔵されている、川原慶賀筆の「蘭館図」のコピー。調理部屋に入ってすぐとのところに掛け軸状にして飾ってありました。この絵を参考にして調理部屋の復元を行ったようです。
手前右では、豚の解体が始まり血を出しているところです。左では日本人を含む東洋人らしき3人が乳鉢を使ってなにやらすり潰しています。奥の方左手では6人の西洋人が肉を調理しています。右手奥では竈(かまど)で煮炊きしている人がいます。スープを漉し取っている人もいます。 もう少しきれいな写真だとよかったのですが。
テーブルの上には豚の頭。この豚の頭は宴会用にしつらえた他のテーブルにもありました。口にくわえているのはリンゴのようでした。出島に出入りの日本人は、西洋人の暮らし向きには慣れていても、豚の頭には「異国」を感じたかも知れません。
テーブルの奥の方、一見魚に見えましたが、やはり肉類のようです。手前の方にある野菜類は、ジャガイモ、セロリ(家内の推測)、トマト………。
館内ではフラッシュが使えず暗がりでは手ぶれの写真ばかりでしたが、午後4時過ぎの陽光が気持ちよく入り、案外な写真が撮れました。
ピントが怪しいですが、右側に2本ほど写っている杓子(しゃくし)。右の方にあと3本ありましたが、なぜか全部網杓子(あみじゃくし)でした。鍋、包丁、壺、ビン、大鍋などがあります。 杓子の左にかかっている棒状のもの、これは洋包丁を研ぐ道具ではないかと思いました。
ガラス越しの写真。香料などをすり潰す大きな乳鉢です。陶器製ではなく石のようです。さらに視線を落とせば、床材も古いものを使っていますね。
7月16日(日曜日)、かねてから気になっていた司馬江漢作製という阿蘭陀茶臼(おらんだちゃうす・コーヒーミル)の実物を見るために昨年新装なった長崎歴史文化博物館を訪ねました。その後、これも新規に復元された「出島」を訪ねました。
阿蘭陀茶臼についてはまだ調べたいこともありますので、後ほどにさせていただくとして、「出島」に陳列されていた食器をご紹介させていただきました。
長崎歴史文化博物館では、写真撮影禁止のためデジカメは一度も取り出さずじまいでした。「出島」では写真OKでしたが、フラッシュ禁止。薄明かりの中では、私のウデでは手振れたっぷりの写真しか撮れませんでした。が、70枚近くシャッターを押し続けた中には数枚お見せ出来そうな画像がありました。「数打ちゃ当たる」の世界です。
シャッターを押しながら、疑問を感じていました。さてこれらの食器類は本当に正確な「復元」なのだろうか。一口に復元と言っても、思いを巡らせてみれば素人にも様々な問題が浮かび上がります。
出島は1635年(寛永12年)~1856年(安政3年)の間機能し都合200年以上の歴史があります。その間、日本は鎖国中だとはいえ、西欧列強は海外進出凄まじい時代でした。生活様式も多様に変化していったはずです。コーヒーで言えば、トルコ式で、イブリック(コーヒー用の小さな鍋)の中にコーヒー粉と水を入れて煮出して飲んだ時代(カップに粉が入る)から、ドリップ式やサイフォンなど漉されたコーヒーの時代までが含まれます。
さて、どの時代を切り取って「復元」したのか。それはどの程度の正確さを期して復元されたのか。例えば、調理部屋のテーブルの上にはジャガイモの他、トマトやセロリがあります。辞典によれば日本では昭和に入ってから一般の食卓に上るようになったようです。
つい素人の揚げ足取りをしてみたくなりますが、思いの至るところは失われた時代を復元することの難しさと、それを一般の観光客たる私達に提示してみせることの難しさです。復元に携わった方々には一つの復元物を飾るにしても喧々囂々(ケンケンゴウゴウ)の議論があったのではないかと想像します。出島に飾られた食器達も、学問的な正確さを期した復元であるよりも、観光客に出島の雰囲気を味わってもらうという方向性の方を強く感じました。
今回の長崎行きは若い歴史研究家のTさん夫妻が同行してくれました。コーヒーミルを見るという一つの目的があったために、少し緻密に眺めることが出来、物を漫然と眺めるだけよりも、より深く歴史や、歴史を探究する現場を感じながら見ることが出来たのは幸せなことでした。
帰りの車中では長崎歴史文化博物館の評価が高かったのですが、私は天の邪鬼にも「出島」の方に興味が向いていました。博物館の「本物」の展示には「そうなのか」と肯くしかなかったのですが、出島の展示には自ら疑問を発し、復元の難しさに思いを巡らせることで、「自発的に」歴史を楽しめたように思います。
それほど遠くないうちに、また長崎・出島を訪ねてみたいと思います。その時はグラバー園他の観光地にも足を伸ばしたいものです。
個人の楽しい旅行記へのリンクもあったのですが、10年の間にリンク切れになってしまいました。
改定時に追記:
「蘭館図」はこのページで、もっと良好な画像を見ることが出来ます。記事もより専門的で、本ページより面白いですが、どうぞ帰ってきて下さい(笑。
かうひい屋の珈琲ゼリーは「カップゼリー」と称してきました。柔らかく作っているので、別皿の上にひっくり返すと形が崩れてしまいます。
最近、モーツァルトの姉のマリア・アンナ・モーツァルト(通称ナンネル)のダンナの肖像画に、コーヒーカップを見つけました
かうひい屋のメニューには、冷たいコーヒーとして「オ・レ・グラッセ」というのがありました。下はシロップが入った甘いミルク、上はブラックのままの冷たいコーヒーです。トップにクリームを流して仕上げます。
東急ハンズの池袋店が今年(2021年)9月に閉店するそうです(3月19日新聞)。東急ハンズの実店舗に行ったことがない私も、池袋店には思い出があります。
そうした記事の中で、アメリカの感染症専門医の話として「朝の一杯のコーヒーを飲むと、朝食中に味と匂いの喪失が検出される可能性がある」というのがありました。
これはおそらく、砂糖入りや、ミルク入りではない、ブラックコーヒーで、より有効だろうと思います。
かうひい屋の、開店以来の人気商品に「珈琲のババロア」がありました。当店が得意とする深煎り珈琲のエキスを生かした、卵と生クリームを使った冷菓です。
閉店後、あるお客様に「いつか『珈琲のババロア』のレシピをご披露しましょうね」と話していました。
「福岡ではこうやってニンニクを潰して…………」と、ギュッと力を入れると、「あ゛っ!」という声がしました。顔を上げると、私の目の前で、店主さんがしかめ面をして、指で目をこすっていました。ニンニクの汁が飛んだようです。
昨日は、コーヒー豆の発送の日でした、
かうひい屋では、郵便局のレターパックは、実店舗の営業時代は、ヤマト運輸の補助として、少数ながら月に何度か使っていましたし、付き合いは長いのですが、箱を折ってきれいな箱形を作るのがどうも苦手で、いつも歪(いびつ)な出来上がりになっていました。
福岡市周辺のラーメン文化の、一つの特徴は「替え玉」だと思います。ラーメンのスープを残して「替え玉」を注文すると、麺だけを茹でて提供してくれます。
福岡市周辺では「インドカレー専門店」にも「替えナン」というものがあります(どこにでもあるわけでは、ありません)。ヨソの人から見れば意表を突いたメニューでも、替え玉文化圏にいると普通に見えるから不思議です。
ミルクとコーヒーは大変相性がよく、「コーヒーの歴史が始まって以来、ミルクとコーヒーは友達でした」と言いたい所ですが、伝統的なコーヒーの淹れ方である、小鍋にコーヒーの粉を入れて煮出すトルコ式では、粉が混じっていてカフェ・オ・レにするのは少し厄介です。
ある時ラジオをつけっぱなしでうたた寝している時に、なにか聞き覚えのある曲が流れてきました。寝ぼけたまま「タンタンたぬき♪」と悟った私は、まさに反射的にガバッと飛び起きて、すぐにラジオ局サイトのタイムテーブルで、曲名を検索しました。
状況につられて、新型肺炎関連の記事を書き始めましたが、こういう時こそ,コーヒーの価値を再認識したいと思い直し、映画の話を。「ひとときの浮き世離れで鋭気を養い、現実の世界へ再突入」というのが、コーヒータイムの価値だと思います。
何気なくネット検索をしてみると、「フランスの有名陶器メーカービレロイ&ボッホ社の子息で……」とあり、興味をひかれました。
この鍋料理の食べ方は、塩を入れずに椎茸の出し汁とゴマ油だけで煮込んだ白菜と肉類を、取り皿で薄い塩味をつけながら食べます。自然に、塩味のあるところと、ないところが交互に現れることになり、
扁炉鍋は、舞台美術家・妹尾河童氏のエッセイ集「河童のスケッチブック」(1999年第1版)で初めて紹介され、「中国大陸に長く住んでいた人が
「河童のスケッチブック」ではおかしなことが書いています。 椎茸のだし汁を捨てないと2度も強調していますが、この場面でだしを捨てる人などいるのでしょうか。
昭和の戦前から「吾らのテナー」として知られた、テナー歌手藤原義江氏は、今やSP時代の音源でしか聴くことは出来ませんが、かうひい屋も含めて年配の方は(名前は)よく知っている存在でした。
夏になると、法要のために福岡県柳川市を訪ねます。季節柄、「かき氷でも食べようか」と言うことも多く、かつ柳川は、水郷の町、北原白秋や、城下町を売りにす
スウェーデンのグスタフ3世は、コーヒーとティーの有毒性を証明するために、死刑囚を使って実験することにしました。
ドイツ語でkaffeeを検索してみれば、Beethoven Kaffee または Bach Kaffee などという店名や商品名が出てきます。そうでした、バッハは「コーヒー・カンタータ」を作曲しているくらいコーヒーには馴染みがありますし、かうひい屋でも何度か文章にしたことがあります。
コーヒー豆の焙煎度(煎った度合い)は、一般に8つの段階で表現されます。 さらに深煎りの7.フレンチ・ローストや8.イタリアン・ローストになると、エスプレッソ・コーヒーとして使われるほかは、苦み走ったアイスコーヒー用などとして使われ、
かうひい屋では,アイスコーヒーのことを「冷たい珈琲」と呼んでいました。当店の普通の暖かいブレンド、イタリアン・アロマ・ブレンドをつめたく冷やしたという意味で、当店では暖かい用のブレンドとアイス用のブレンドの区別がありませんでした。
「降雨の現況」を知るために頼りにしていたのがXRAIN(エックスレイン)で、「地図上に雨量をリアルタイムで表示する」サイトです。災害時のみならず 、日常生活にも役立つサイトです。
前日の夜にアップされた、英彦山「四王寺の滝」の凍結の様子でした。まさに日本画のような、見事な雪景に驚きました。掲載していたブログ「英彦山からの便り」の当日の記事によると、
二人の男女の像は、かうひい屋の完全オリジナルではありません。右の男性はアールヌーボー時代のカリカチュアからの模写、女性は一応かうひい屋のオリジナルと言えます。
何年か前、漫画家の松尾龍之介氏が当店に立ち寄られたことがあります.その時のお話です。
かうひい屋には、「珈琲の話」と題した小冊子を作ってカウンターに置いていました。
さて、お問い合わせの件ですが、おっしゃるようにまさしくパイプでございます。 当時ヨーロッパではやっていた、「クレーパイプ」と呼ばれるものです。 その名の通り、白い粘土を焼いてできており、折れたものや欠けたものなどたくさんの破片が出島の発掘調査では出土いたし
かうひい屋の名前の由来となった「かうひい」の記述がある、江戸時代の京都の医師・広川獬(かい)が 著した「長崎聞見録」。最近は複数のサイトで本書の画像が公開されています。
テーブルの上にはカップの他、シュガーポット、ボール、ミルクピッチャーとおぼしき磁器、そして右側には背の高いポットがあります。
きゅうすスキッターをコーヒーポットにつけて、安定した点滴状態を作り出すことが出来ます。
現在の安定形です。奥行きを深くして、ポットの内面とワイヤーの接触部分を多くした結果、柔らかなバネでも安定するようになりました。
グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)とは、Grandma Moses で画像検索をすれば、きれいな絵がどやどやと出てきます。アメリカで知らない人はいないといわれるほど人気の画家でした。
この絵にコーヒーが登場する理由は、創作過程にあります。最初に想像していた以上に、コーヒーはこの絵の中で大きなファクターでした。……
かうひい屋のコーヒー豆の袋に貼っていた、当店のロゴマークのシールが、残り数十枚になりました。そこで急遽、左のようなシールを作成しました。以前より小型になりました。実は、2018年6月の閉店時点では、2000枚ほどの残りがあったのですが、
妖艶なお母さんが何か食品を混ぜていて、側にはNESTLÉ'S MILK FOODの缶。これはネスレが開発して発売し、すでに国際的な成功をおさめていた……
最近、お客様から「よく淹れるのはマンデリン……」という話を伺いました。
「マンデリンが好き」
「コーヒーの酸味が苦手で……」
この2つのキーワードは、かうひい屋ではよく話題が広がるテーマでした。
ある人が、アイスクリームに濃厚なコーヒーをかけて食べてみたところ「おお、旨い!!」ということになり、人々の間に一気に広がっていった、 そんなことを想像させる、メニューです。
かうひい屋がグラニテを知ったのは約30年前、かうひい屋開店の頃でした。「(古代)ローマの食卓」と言う本で、果物のジュースを雪と塩を使って凍らせ、欠き砕いた物ということでした。
お客様と話をしていて「私は時々朝に、砂糖で甘くした牛乳を温めて、別々のカップでコーヒーと牛乳を交互に飲む」 と言う話をしたところ、興味を持ってもらえました。