高宮駅前 180円のラーメン。
面白おかしい話ではありませんが、印象に残ったお店でした。
夜の8時頃に移動中、福岡市高宮の西鉄駅前で車を寄せやすい店を見つけ、何気なく入りました。
店内はカウンターのみで、お客さんはなく、なぜか店の奥からテレビの音が大音量で流れていました。
壁のメニューを見ると
「ラーメン 180円(だったか200円だったか)」と、何かの間違いではないかという値段が書いていましたので、「替え玉の値段かな?」などと思いながら、店の方に
「これは、ラーメンの値段ですか?」
と聞くと、「はい、そうですよ」と答えて、さらに「すみません」と言いながら、テレビの大音量の理由も教えてくれました。
ちょうどその時、その店がテレビの取材を受けて、名物店として放送されている時間帯でした。
お店の方は、私の相手をしながらも奥のテレビが気になっている様子でしたので、私も「先にお金を払っときましょうか」と気を利かせた覚えがあります。
「学生たちのために超安値でラーメンを提供している心意気の店」の評判を知ったのは後ほどのことでした。
正確な値段は、180~260円の間くらいで、忘れてしまいました。
30年くらい前の話ですが、それから20年以上経った頃に、そのお店が閉店した話を聞きました。
この日の翌日に、ニンニク事件が起きました。
(後日追記:上記のお店は「勝龍軒」。開店当初から閉店までラーメンの値段は100円でした。)
ニンニクは、福岡の豚骨ラーメンの特徴というわけではないと思いますが、ニンニクをすり潰したものや、時にはニンニクそのものと「ニンニク潰し」がカウンターやテーブルに置いてあります(ない場合もあります)。
高宮のラーメン屋の翌日、親戚が訪ねてきました。その当時知っていた「有名なラーメン屋」に行くことになり、車を降りて店に向かうと、店の前には20人くらいの行列が出来ていました。
その店は普段でも店の前でいつも人が待っている状態でしたが、隣の寿司屋の先まで人が並んでいる状態を初めて見ました。
聞けば、前日のテレビ番組では、この店も放送されたのでした。「しまった」とは思っても車は降りてしまったし、代替案はなく、「テレビに出るような有名なお店」と言うことで、20人待ちで入りました。
店内は鰻の寝床風で、奥に深く、私たちは選ぶ余地なく、ぐっと奥の方に並んで座りました。
カウンターの前は厨房が終わって、従業員用の狭い通路だけでした。
ラーメンが出ると、私はニンニクを一つとって、解説よろしく「福岡ではこうやってニンニクを潰して…………」と、ギュッと力を入れると、「あ゛っ!」という声がしました。顔を上げると、私の目の前で、店主さんがしかめ面をして、指で目をこすっていました。ニンニクの汁が飛んだようです。
「ス、 ス ミ マ セ ン……」
店主さんはしかめっ面のまま、目をこすりながら、軽く頷いたと思います(思いたい)。
店主さんは、一息入れるために、厨房の熱気を避けて、私の前に立っていたようでした
すぐに厨房に戻って仕事を再開したので、私は「大丈夫ですか?」とも言わずに、こそこそと帰って来てしまいました。
(後日追記:上記のお店は福岡市早良区百道の「ふくちゃん」。数年後に早良区田隈に移転。)
その店では、家内と私は向かい合って座ってラーメンを待っていました。
その店には画像のようなコショウ入れを置いていました。高さが25センチくらいありそうな大型で、テーブルの上にドンと乗っていると、なかなか野性的です。
私は、食事処のテーブルにある道具物を、「自分の店で使えないか」と興味を持って、眺めたり、持ってみたりする癖があります。
その時も、コショウ入れを手に取って両方の蓋を開け、「なるほど、こちらが降り出す方で、こちらは補充口で」と確かめて、両方の蓋をきちんと閉めて、テーブルに戻しました。
ラーメンが出来てきたので、私はニンニクを一つとってニンニク潰しに入れ、ギュッと力を入れると「あ゛っ!」という声がしました。
顔を上げると家内のラーメンの上にコショウが山盛りで、家内が情けない顔をしていました。
「なん しょっと?」
「どうしょうか」
「替えてもらうしか なかろ-」
家内は私がニンニクを潰すのを「まぁ、そんなにたくさん入れて」(ひとつですけど)と気をとられながら、コショウ入れを補充口の方から振ったようです。
なぜ、こんな間違いが……とほかのテーブルを見渡すと、ほかのテーブルのコショウ入れは、振り出し口の方は開けたままになっていました。
私が両方とも閉めてしまったのが、間違いの元だったようでした。
家内は帰り際に、「2杯分払います」だの「いいですよ」だの押し問答をしていたようですが、払ったようでした(支払いは家内)。
(後日追記:上記のお店は「博多金龍」、おそらく筑紫野市内。)
かうひい屋の珈琲ゼリーは「カップゼリー」と称してきました。柔らかく作っているので、別皿の上にひっくり返すと形が崩れてしまいます。
最近、モーツァルトの姉のマリア・アンナ・モーツァルト(通称ナンネル)のダンナの肖像画に、コーヒーカップを見つけました
かうひい屋のメニューには、冷たいコーヒーとして「オ・レ・グラッセ」というのがありました。下はシロップが入った甘いミルク、上はブラックのままの冷たいコーヒーです。トップにクリームを流して仕上げます。
東急ハンズの池袋店が今年(2021年)9月に閉店するそうです(3月19日新聞)。東急ハンズの実店舗に行ったことがない私も、池袋店には思い出があります。
そうした記事の中で、アメリカの感染症専門医の話として「朝の一杯のコーヒーを飲むと、朝食中に味と匂いの喪失が検出される可能性がある」というのがありました。
これはおそらく、砂糖入りや、ミルク入りではない、ブラックコーヒーで、より有効だろうと思います。
かうひい屋の、開店以来の人気商品に「珈琲のババロア」がありました。当店が得意とする深煎り珈琲のエキスを生かした、卵と生クリームを使った冷菓です。
閉店後、あるお客様に「いつか『珈琲のババロア』のレシピをご披露しましょうね」と話していました。
「福岡ではこうやってニンニクを潰して…………」と、ギュッと力を入れると、「あ゛っ!」という声がしました。顔を上げると、私の目の前で、店主さんがしかめ面をして、指で目をこすっていました。ニンニクの汁が飛んだようです。
昨日は、コーヒー豆の発送の日でした、
かうひい屋では、郵便局のレターパックは、実店舗の営業時代は、ヤマト運輸の補助として、少数ながら月に何度か使っていましたし、付き合いは長いのですが、箱を折ってきれいな箱形を作るのがどうも苦手で、いつも歪(いびつ)な出来上がりになっていました。
福岡市周辺のラーメン文化の、一つの特徴は「替え玉」だと思います。ラーメンのスープを残して「替え玉」を注文すると、麺だけを茹でて提供してくれます。
福岡市周辺では「インドカレー専門店」にも「替えナン」というものがあります(どこにでもあるわけでは、ありません)。ヨソの人から見れば意表を突いたメニューでも、替え玉文化圏にいると普通に見えるから不思議です。
ミルクとコーヒーは大変相性がよく、「コーヒーの歴史が始まって以来、ミルクとコーヒーは友達でした」と言いたい所ですが、伝統的なコーヒーの淹れ方である、小鍋にコーヒーの粉を入れて煮出すトルコ式では、粉が混じっていてカフェ・オ・レにするのは少し厄介です。
ある時ラジオをつけっぱなしでうたた寝している時に、なにか聞き覚えのある曲が流れてきました。寝ぼけたまま「タンタンたぬき♪」と悟った私は、まさに反射的にガバッと飛び起きて、すぐにラジオ局サイトのタイムテーブルで、曲名を検索しました。
状況につられて、新型肺炎関連の記事を書き始めましたが、こういう時こそ,コーヒーの価値を再認識したいと思い直し、映画の話を。「ひとときの浮き世離れで鋭気を養い、現実の世界へ再突入」というのが、コーヒータイムの価値だと思います。
何気なくネット検索をしてみると、「フランスの有名陶器メーカービレロイ&ボッホ社の子息で……」とあり、興味をひかれました。
この鍋料理の食べ方は、塩を入れずに椎茸の出し汁とゴマ油だけで煮込んだ白菜と肉類を、取り皿で薄い塩味をつけながら食べます。自然に、塩味のあるところと、ないところが交互に現れることになり、
扁炉鍋は、舞台美術家・妹尾河童氏のエッセイ集「河童のスケッチブック」(1999年第1版)で初めて紹介され、「中国大陸に長く住んでいた人が
「河童のスケッチブック」ではおかしなことが書いています。 椎茸のだし汁を捨てないと2度も強調していますが、この場面でだしを捨てる人などいるのでしょうか。
昭和の戦前から「吾らのテナー」として知られた、テナー歌手藤原義江氏は、今やSP時代の音源でしか聴くことは出来ませんが、かうひい屋も含めて年配の方は(名前は)よく知っている存在でした。
夏になると、法要のために福岡県柳川市を訪ねます。季節柄、「かき氷でも食べようか」と言うことも多く、かつ柳川は、水郷の町、北原白秋や、城下町を売りにす
スウェーデンのグスタフ3世は、コーヒーとティーの有毒性を証明するために、死刑囚を使って実験することにしました。
ドイツ語でkaffeeを検索してみれば、Beethoven Kaffee または Bach Kaffee などという店名や商品名が出てきます。そうでした、バッハは「コーヒー・カンタータ」を作曲しているくらいコーヒーには馴染みがありますし、かうひい屋でも何度か文章にしたことがあります。
コーヒー豆の焙煎度(煎った度合い)は、一般に8つの段階で表現されます。 さらに深煎りの7.フレンチ・ローストや8.イタリアン・ローストになると、エスプレッソ・コーヒーとして使われるほかは、苦み走ったアイスコーヒー用などとして使われ、
かうひい屋では,アイスコーヒーのことを「冷たい珈琲」と呼んでいました。当店の普通の暖かいブレンド、イタリアン・アロマ・ブレンドをつめたく冷やしたという意味で、当店では暖かい用のブレンドとアイス用のブレンドの区別がありませんでした。
「降雨の現況」を知るために頼りにしていたのがXRAIN(エックスレイン)で、「地図上に雨量をリアルタイムで表示する」サイトです。災害時のみならず 、日常生活にも役立つサイトです。
前日の夜にアップされた、英彦山「四王寺の滝」の凍結の様子でした。まさに日本画のような、見事な雪景に驚きました。掲載していたブログ「英彦山からの便り」の当日の記事によると、
二人の男女の像は、かうひい屋の完全オリジナルではありません。右の男性はアールヌーボー時代のカリカチュアからの模写、女性は一応かうひい屋のオリジナルと言えます。
何年か前、漫画家の松尾龍之介氏が当店に立ち寄られたことがあります.その時のお話です。
かうひい屋には、「珈琲の話」と題した小冊子を作ってカウンターに置いていました。
さて、お問い合わせの件ですが、おっしゃるようにまさしくパイプでございます。 当時ヨーロッパではやっていた、「クレーパイプ」と呼ばれるものです。 その名の通り、白い粘土を焼いてできており、折れたものや欠けたものなどたくさんの破片が出島の発掘調査では出土いたし
かうひい屋の名前の由来となった「かうひい」の記述がある、江戸時代の京都の医師・広川獬(かい)が 著した「長崎聞見録」。最近は複数のサイトで本書の画像が公開されています。
テーブルの上にはカップの他、シュガーポット、ボール、ミルクピッチャーとおぼしき磁器、そして右側には背の高いポットがあります。
きゅうすスキッターをコーヒーポットにつけて、安定した点滴状態を作り出すことが出来ます。
現在の安定形です。奥行きを深くして、ポットの内面とワイヤーの接触部分を多くした結果、柔らかなバネでも安定するようになりました。
グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)とは、Grandma Moses で画像検索をすれば、きれいな絵がどやどやと出てきます。アメリカで知らない人はいないといわれるほど人気の画家でした。
この絵にコーヒーが登場する理由は、創作過程にあります。最初に想像していた以上に、コーヒーはこの絵の中で大きなファクターでした。……
かうひい屋のコーヒー豆の袋に貼っていた、当店のロゴマークのシールが、残り数十枚になりました。そこで急遽、左のようなシールを作成しました。以前より小型になりました。実は、2018年6月の閉店時点では、2000枚ほどの残りがあったのですが、
妖艶なお母さんが何か食品を混ぜていて、側にはNESTLÉ'S MILK FOODの缶。これはネスレが開発して発売し、すでに国際的な成功をおさめていた……
最近、お客様から「よく淹れるのはマンデリン……」という話を伺いました。
「マンデリンが好き」
「コーヒーの酸味が苦手で……」
この2つのキーワードは、かうひい屋ではよく話題が広がるテーマでした。
ある人が、アイスクリームに濃厚なコーヒーをかけて食べてみたところ「おお、旨い!!」ということになり、人々の間に一気に広がっていった、 そんなことを想像させる、メニューです。
かうひい屋がグラニテを知ったのは約30年前、かうひい屋開店の頃でした。「(古代)ローマの食卓」と言う本で、果物のジュースを雪と塩を使って凍らせ、欠き砕いた物ということでした。
お客様と話をしていて「私は時々朝に、砂糖で甘くした牛乳を温めて、別々のカップでコーヒーと牛乳を交互に飲む」 と言う話をしたところ、興味を持ってもらえました。