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2019-08-22幸運な死刑囚(スウェーデン)

絞首台か、コーヒーか

グスタフ3世
グスタフ3世

コーヒーやティーのような輸入の贅沢品に民衆が血道を上げるのは、国家財政を怪しくさせ、かつコーヒーがあるところに政治談義が付きまとっているのも、為政者は面白くない等々、コーヒーに対する抑圧と、密輸入の関係は長い間続きました。

ヴェルディのオペラ「仮面舞踏会」で有名な、スウェーデンのグスタフ3世(1746-1792)は、コーヒーとティーの有毒性を証明するために、死刑囚を使って実験することにしました。

二人の死刑囚を選び、それぞれコーヒーとティーを毎日飲ませ続ける実験でした。死刑囚二人に向かって
「絞首台と、毎日コーヒーを飲む生活と、どちらがいいか」
もう、言わずもがなの話です。それともその時代の死刑囚は、コーヒーを飲み続けることに恐怖を覚えたでしょうか。二人は、終身刑に減刑された上、コーヒー、ティーを飲む生活に入りました。

医者が二人、監督係として配置されました。年月が経つうちに、二人の医者が病気で亡くなりました。そして国王も1792年に仮面舞踏会の席上で、暗殺に合い、その怪我が元で数週間後に亡くなりました。

二人はさらに長生きし、ティーを飲んだ囚人が83才で亡くなりました。コーヒーを飲んだ囚人の死亡年齢は分かっていません。

この話は真偽不明の伝説とされながらも、ヨーロッパで語り継がれています(コーヒーの最初の臨床実験として)。

スウェーデンは18世紀の初頭にはコーヒーに大変積極的で、18世紀前半にはストックホルムに50軒のコーヒーハウスがあったと言います。しかし1756年のコーヒー禁止令以来、グスタフ3世の治世(在位1771-1792)を経て1823年頃までは、禁止(罰金)と緩和(重税)の間で揺れ動いていた国であるようです。

J・S・バッハが「コーヒーカンタータ」を書いた1734年のライプツィヒ、モーツァルトが夫人の母親(義母)にコーヒーを土産にしたという1780年代のウィーンからすれば、スウェーデンは、コーヒーに関しては、厳しい時代だったようです。

歌劇「仮面舞踏会」

ヴェルディ
ヴェルディ

スウェーデンのグスタフ3世は、フランスやロシアの列強のバランスの中で、スウェーデンの国際的地位を高めた、スウェーデン中興の王ともされ、強大な権力を握った啓蒙専制君主でしたが、敵も多く、暗殺に至りました。

力のあった王が暗殺された事件は衝撃的で、後にフランスの劇作家ウジェーヌ・スクリーブが「ギュスターヴ三世」として戯曲に仕立て上げ、1833年にオペラ化され、26年後の1859年、同じ台本でジュゼッペ・ヴェルディがオペラ「仮面舞踏会」を発表して、歴史に残る名作となりました。

歌劇「仮面舞踏会」

19世紀という時代柄、国王を暗殺するという筋立ては素直には上演出来ず、ヴェルディは検閲をかわすために舞台となる地域を変えたり、工夫をしていますが、20世紀に入ってからは、「スウェーデンの物語」と明確にして上演しているようです。