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2020-04-24 カフェ・オ・レの始まり

コーヒーとミルクの相性

カフェ・オ・レ
カフェ・オ・レ(かうひい屋のメニューより)

ミルクとコーヒーは大変相性がよく、「コーヒーの歴史が始まって以来、ミルクとコーヒーは友達でした」と言いたい所ですが、伝統的なコーヒーの淹れ方である、小鍋にコーヒーの粉を入れて煮出すトルコ式では、粉が混じっていてカフェ・オ・レにするのは少し厄介です。

ミルクにコーヒーの粉が入ると、粉がいつまでも沈まずに飲みにくくなりますので、鍋の中でしっかり沈ませた後、上澄みをミルクと一緒に温める、と言う方法でしょうか。出来上がったトルココーヒーを布などで漉して粉を取り除くのも、ありです。

できあがりを布で漉したトルココーヒーは、ブラックとしては少し味が落ちていると思いますが、ミルクを加えるならば、問題にならないと思います。

カフェ・オ・レの始まり

何か、ひと工夫がないと素直にはおいしくなかったと思います。しかし、そのひと工夫に成功すると、コーヒーだけではあり得ない、ミルクだけでもあり得ない、別世界が開けます

フランス語のWikipedia「Café au lait(ミルク入りコーヒー)」の項では、「1685年グルノーブルの王の医者であったモニン博士が」始めたと書いています。

面白いことに英語版のWikipediaでは、1660年頃にオランダの旅行家ヤン・ニーホフ(1618-1672)が牛乳とコーヒーを一緒に飲んだ初めての人と書いています。

わざわざ最初に飲んだ人の記録があると言うことは、コーヒーとミルクの関係は意外に遠かったと言うことでしょうか。

寺田寅彦のミルクコーヒー

寺田寅彦
寺田寅彦

時代は200年進みますが、「天災は忘れたころにやってくる」で有名な日本の科学者・文学者・寺田寅彦(1878-1935)は「コーヒー哲学序説」の中で 「8~9才の頃(1886年頃)、虚弱だったので医者から牛乳を飲むように勧められたが、慣れず飲みにくいので、コーヒーの粉を処方された。
さらし木綿にコーヒーの粉を入れて熱した牛乳の中に入れ、振って絞り出す…………(要約)」
と書いています。

モニン博士のミルクコーヒーもこんな感じではないでしょうか(想像)。

寺田寅彦は、この時からコーヒーにとりつかれたと書いています。

どちらの場合も、滋養強壮のためにミルクを飲む助けとして、コーヒーを利用したようです。

かうひい屋なら「コーヒーとミルクを別々に飲めば?」というのがお勧めですが、それでは飲みにくいミルクを我慢して飲んだ上に、苦いコーヒーがやってくるという……嫌いな人にとっては、踏んだり蹴ったりの二重苦になりそうです……。

現代風に、コーヒーに素直にミルクを入れることが出来るようになったのは、19世紀になってコーヒーの粉が入らない、ドリップ式などの淹れ方が進んでからだと思われます。エスプレッソの普及までは、まだ100年かかります。

1826年のフランスのブリア=サヴァラン(1755-1826)の著書「美味礼賛」では、「ドゥ・ベロイ氏の澄んだコーヒーがうまい……」ということを書いています。粉が入らないコーヒーが出来てからは、コーヒーの飲み方のヴァリエーションは格段に広がったことでしょう。

ピサロのカフェ・オ・レ

ピサロ「コーヒーを持つ農民の少女」1881年
虫眼鏡

大きなカップ
大きなカップ

印象派の画家カミーユ・ピサロ(1830-1903)は農村風景などの作品も多く残していますが、上記の作品も有名です。題名は「Young Peasant Having Her Coffee(コーヒーを持つ若い農民の娘)」または、「: The Breakfast, Young Peasant Girl Having Café au Lait(朝食、カフェ・オ・レを持つ若い農民の娘)」。誰がつけた題名かはわかりませんが、この絵を所蔵するシカゴ美術館の解説では「農民の女性が持っているのは『コーヒー』とあるが、カップの大きさから、カフェ・オ・レであることは明白である」とあります。

フランスでは今日でも大きなカフェ・オ・レボールで、カフェ・オ・レとパンを食べることは一般的のようですが、19世紀後半の日常生活を写し取ったこの絵は、コーヒーを時代考証する上でも貴重です。

醜いコーヒー

カミーユ・ピサロ
カミーユ・ピサロ・自画像

印象派の最初の展示会「落選展」は1874年に第1回が始まりましたが、モネの「印象・日の出」という作品で揚げ足をとられて、「印象派」と嘲笑されました。メンバー達はむしろそれを面白がって、自ら「印象派」と名乗りました。

反対派ジャーナリズムの攻撃は止むことなく、「第7回印象派展」に出品された、ピサロのこの絵に対しても、 Le café au lait (カフェ・オ・レ)ではなく
 Le café au laid
(laid は『醜い』)である」
と舌鋒鋭くあざけっています。

ピサロは、方向性の違いで分裂しがちな若い画家たちを、人柄と年の功でまとめ、第7回では中心になって開催しています。

第8回は開かれましたが、主な画家たちが離れてしまって、最後の印象派展になりました。

寺田寅彦 珈琲哲学序説 青空文庫
寺田寅彦の切手写真
昭和52年の10円切手。文化人シリーズ17枚目。