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2019-05-25グランマ・モーゼス 自伝

アメリカ 農村での生活

若き日のグランマ・モーゼス
若き日の
グランマ・モーゼス

 この文章は最後にコーヒーの話がちょっとだけです。

 グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)とは、Grandma Mosesで画像検索をすれば、きれいな絵がどやどやと出てきます。アメリカで知らない人はいないといわれるほど人気のフォークアーティストでした。

 本名は Anna Mary Robertson Moses 、1860年生まれ、1961年・101才まで長生きしました。

 彼女はニューヨーク州の片田舎に生まれ、13才で奉公に出て、27才で結婚。農村生活の中で、10人の子供を産み、5人を育て上げ(5人は早世)、70才の時に夫が死没、彼女自身もリューマチを病んで趣味の手芸もままならず、76才の時には農場もやめて娘さんの家に引っ越していました。

 そのころ、リューマチに苦しむ彼女を見て、妹さんがアドバイスしました。
手芸より絵を描く方が楽じゃない?」。

80才からの大ブレイク

 幼い頃から絵が得意だった彼女は、すぐに油絵に夢中になり、絵を描いては、手造りジャムの販売を依頼していたドラッグストアに、ジャムと一緒に販売を頼んでいました。

モーゼスの作品3
fireboard 1918
Wikipedia 英

  彼女が絵が得意であったことは、58才の時のファイアーボード(おそらく夏場の暖炉の前に置く、飾り板)を見ても分かります。

 2年後、近所のドラッグストアに飾られていた彼女の絵に気が付いたコレクターが彼女宅を訪ね、絵を購入するとともに美術館に紹介。初個展が開かれたのは80才の時でした。そして彼女の個展を見たデパートが、企画展を組んで彼女を紹介したのが、人気爆発の発火点でした。

 以後、古き良き時代のアメリカの農村風景を、彼女独特の視点からパノラマ的に描くスタイルを確立して、20年間に1500枚に及ぶ作品を残しています。

心に残る自伝

「モーゼスおばあさんの絵の世界―田園生活100年の自伝 」
モーゼス自伝

 グランマ・モーゼスの92才の時の自伝が日本でも出版されています。「モーゼスおばあさんの絵の世界―田園生活100年の自伝 」アンナ・M・R・モーゼス (著), 加藤 恭子 (翻訳)。アメリカでの初版は1952年、日本語訳(本書)の初版は1983年です。

 若い日からの苦労の連続を語っているけれど、悲劇的ではなく、 流れるようにではないけれど、訥々とでもない、静かな語り口が、読む人の心を鎮め、澄んだ空気のような穏やかな清涼感があります。そして、派手ではないけれど、人生を着実に生きてきた人の充実感がある文章です。訳者もいいのかも知れません。

コーヒーと男物の靴下

 自伝も後半まで読み進んだあたり、40才(1900年)の頃に村でイベントが開かれ、モーゼス家に大勢のお客がありました。

 宴もたけなわを過ぎた頃、手伝いの女性の一人が言い出しました。 「そうだ、ここでコーヒーを出せないかしら」 グランマ・モーゼス「でも、大きな鍋はもう全部使ってしまっているし」 「惜しいわね、何かないかしら」 グランマ・モーゼス「そうだ!、新しい洗濯鍋がある(煮沸洗濯用)。あれでいきましょう!」 「ダメよ!!、もう男物の靴下なんか、洗った後でしょう!!」 グランマ・モーゼス「大丈夫よ!、まだ新しいし!!」

 楽しくて印象に残った部分ですが、コーヒーを出したかどうか、書いてなかったと思います。しかし、この数行で分かったことは、若き日のグランマ・モーゼスはアメリカの農村の、快活なおばさんだったこと。そして、男物の靴下は100年以上前から「汚い」と言われていたことです。

付録

翻訳者 加藤 恭子氏の関係者のブログ ”モーゼスおばあさん”が教科書に載りました。

コレクター Louis J. Caldor が グランマ・モーゼスの絵を見つけた時の想像図
コレクター Louis J. Caldor が グランマ・モーゼスの絵を見つけた時の想像図
外部ページ(英語)へリンク