音量注意:音の出るコンテンツがあります。
外出自粛で、家の中で鬱々と過ごしがちな昨今、何か楽しい話題を提供できないかと、くだらない記事を真面目に書いてしまいました。
-----------------------------おそらく2004年頃から、私はインターネットラジオで海外のクラシック専門局をよく聞いていました。
ある時ラジオをつけたままうたた寝している時に、なにか聞き覚えのある曲が流れてきました。寝ぼけた頭のまま「たんたんタヌキ♪」と気づいた私は反射的に、まさに「ガバッと飛び起きて」すぐにラジオ局サイトのタイムテーブルで、曲名を検索しました。
この曲が「たんたんタヌキ」の元歌でした。「Old American Songs」はアメリカで古くから親しまれた歌を、バリトンとオーケストラ用に編曲した曲で、5曲ずつの曲集が2巻あります(冒頭のプレーヤーの演奏は、私が飛び起きたときのものと同じです)。
長年ぼんやりと抱いていた疑問に答えが出ました。しかしこんなに生真面目で、荘厳な曲が、たんたんタヌキに変わっていたとは。
歌詞は「神の御座の、美しい川のほとりで、また会いましょう」という内容で、天国での再会を語り、葬儀でも使われる曲だそうです。
曲名は「Shall we gather at the river」「At the river」「まもなくかなたの」などありますが、ここでは「At the river」で統一します。
私は「たんたんタヌキ」について、この歌の出所はどこだろうと何気なく思っていましたが、外国の歌だとは想像していませんでした。
同時に、もう一つの淡い疑問が氷解しました。
ジョン・ウェイン主演の西部劇映画「駅馬車」(1939年)の中で「たんたんタヌキ」が出てきたのを「まさか日本の俗謡がこんなところで」と、「聞き間違い」にしていたのを思いだし、その意味するところも察したのでした。
映画の冒頭では、駅馬車に乗り合わせる人々のそれぞれのいきさつが描かれます。街の娼婦ダラスは、「街から娼婦を追い出したい」女性たちに付きまとわれながら、馬車に乗るまでを監視されています。
折りから家賃不払いで追い出された、アルコール中毒の医者ブーンとともに馬車に向かう間、たんたんタヌキが行進曲風に流れます。本来生真面目な音楽を、ふざけたように演奏して、二人の後に続く「生真面目な」女性グループを茶化しています。
そう気がつくと、街の娼婦がたんたんタヌキの歌をバックに追い出される組み合わせに、私は別のおかしみを覚えてしまいます。このおかしみを共有できるのは、「たんたんタヌキ」の歌詞を知っている日本人だけでしょう。
あえてコーヒーに関係のある話題を探せば、後半で、酔っ払い医師ブーンは、緊急の出産に立ち会うために、コーヒーをがぶ飲みして正気に戻ります。
そんなことをお客様に話していたところ、「かうひい屋さんが興味がありそうな本が、図書館で除籍になっていましたよ」と、安田寛著『唱歌と十字架 明治音楽事始め』音楽之友社をいただきました。
その本では、冒頭で「庭の千草」や「埴生の宿」など、明治時代の初頭にキリスト教の聖歌として日本に流入した西洋の歌が、庶民の中に受容されていく過程がつぶさに研究され、推理小説風に語られていました。
そして「At the river(たんたんタヌキ)」は最初に流入した、数曲のうちの一曲でした。たんたんタヌキもなかなか由緒ある曲だったのです。
「唱歌と十字架………」は日本語版Wikipediaの「まもなくかなたの(At the river)」の項の参考書籍として唯一あげられている貴重な本でしたが、図書館で除籍になるのが不思議なくらいでした。
賛美歌としては明治の初頭から「流水天にあり」として紹介され、昭和に入って「まもなくかなたの」と訳が変わっていますが、それ以前、1891(明治24)年には「あなおもしろ」として「国民唱歌集」(小山作之助編)におさめられています。「あなおもしろ」では、曲調も、歌詞の内容も、賛美歌の世界から遠くなっています。
※ 二つの楽譜の入手先は下記「ご参考」より。
「あなおもしろ」では、少年向けに「文武両道に励め」という内容で、原曲が四分音符のところでも、付点四分音符に変えられ、スキップし、飛び跳ねるような印象が強くなっています。さらに「爽快ニ」と指示があり、おごそかな聖歌が「たんたんタヌキ♪」に変化する要素が芽生えているように思えます。
ところで、日本語のWikipedia「まもなくかなたの(At the river)」の解説では、たんたんタヌキの冒頭と同じ旋律で、1937(昭和12)年に日本でヒットした「たばこ屋の娘」に言及があります。
そして、たんたんタヌキは、 「賛美歌『まもなくかなたの』の冒頭部分のメロディーが同じであることから、この賛美歌の替え歌と勘違いした記述があるが、『タバコやの娘』の替え歌である。(要出典)」 とわざわざ特記していますが、別の人が「(要出典)」と疑問を投げかけています。私も、疑問に思います。
上記の二つの原曲の楽譜を見れば、「たんたんタヌキ」も「たばこ屋の娘」も別々のところを引用していることが分かります。
ここで見る限り、二つの曲の引用部分が重なるのは、1段目の前半だけということになります。
結論として、「たばこ屋の娘」にない部分を「たんたんタヌキ」が引用していたり、また逆もありというわけで、 元歌からの引用範囲が異なることから、どちらも、「あなおもしろ」か、賛美歌「流水天にあり」を原典として独自に作られ、どちらかが一方の替え歌といった主従(?)関係はない ように思います。
あえてどちらが先かといえば、「あなおもしろ」が少年向けの歌詞で出版されて、46年後に「たばこ屋の娘」ですから、その間に「たんたんタヌキ」が発生したとみる方が自然ではないかと考えます。
「あなおもしろ」が収録された「国民唱歌集」がどれほど広く歌われたのか、影響力を示す記録はありませんが、編者の小山作之助は当時、日本で唯一の官立音楽専門学校「東京音楽学校」(後の東京芸大)で助教(数年後に教授)の立場にあって、権威があり、広がりもあったのではないかと想像できます。
※ ちなみに小山作之助は「卯の花の匂う垣根に…………」で知られる「夏は来ぬ」の作曲者です。
最後に、以下に自信はありませんが、
「たんたんタヌキの金時計♪」という歌詞は、聞いたことがあります。金時計なら風もないのにゆらゆら揺れるイメージはあります。昔のことですから、金時計とは金の提げ時計(くさり付き)のことです。くさりの端を持って持ち上げると「風もないのに揺れる……」ことになります。
最初の「作詞者」は、わいせつな部分は少しごまかして、「金時計」にしたのではないでしょうか。歌い継がれるうちに誰かが「金○○わぁ♪」と言い出してからは、「風もないのに」は矛盾が生じて「風に吹かれて」となったのではないかと思います。
別の話では、学校の先生のあだ名がタヌキだったので、名指しを避けたとか……。
英語のWikipediaでは「At the river」の項で、日本の「たんたんタヌキ」にも言及があります。英訳された「たんたんタヌキ」をさらに日本語に自動翻訳してみると
たんたん狸の○○は、
風はありませんが、
スイングスイングスイング…………
なにか、楽しくなりませんか?。
※ 2024年に同じところを確かめたところ、翻訳精度が上がったのか、「スイングスイングスイング」が「ゆらゆらゆら」になっていました。ちょっと残念です。
かうひい屋の珈琲ゼリーは「カップゼリー」と称してきました。柔らかく作っているので、別皿の上にひっくり返すと形が崩れてしまいます。
最近、モーツァルトの姉のマリア・アンナ・モーツァルト(通称ナンネル)のダンナの肖像画に、コーヒーカップを見つけました
かうひい屋のメニューには、冷たいコーヒーとして「オ・レ・グラッセ」というのがありました。下はシロップが入った甘いミルク、上はブラックのままの冷たいコーヒーです。トップにクリームを流して仕上げます。
東急ハンズの池袋店が今年(2021年)9月に閉店するそうです(3月19日新聞)。東急ハンズの実店舗に行ったことがない私も、池袋店には思い出があります。
そうした記事の中で、アメリカの感染症専門医の話として「朝の一杯のコーヒーを飲むと、朝食中に味と匂いの喪失が検出される可能性がある」というのがありました。
これはおそらく、砂糖入りや、ミルク入りではない、ブラックコーヒーで、より有効だろうと思います。
かうひい屋の、開店以来の人気商品に「珈琲のババロア」がありました。当店が得意とする深煎り珈琲のエキスを生かした、卵と生クリームを使った冷菓です。
閉店後、あるお客様に「いつか『珈琲のババロア』のレシピをご披露しましょうね」と話していました。
「福岡ではこうやってニンニクを潰して…………」と、ギュッと力を入れると、「あ゛っ!」という声がしました。顔を上げると、私の目の前で、店主さんがしかめ面をして、指で目をこすっていました。ニンニクの汁が飛んだようです。
昨日は、コーヒー豆の発送の日でした、
かうひい屋では、郵便局のレターパックは、実店舗の営業時代は、ヤマト運輸の補助として、少数ながら月に何度か使っていましたし、付き合いは長いのですが、箱を折ってきれいな箱形を作るのがどうも苦手で、いつも歪(いびつ)な出来上がりになっていました。
福岡市周辺のラーメン文化の、一つの特徴は「替え玉」だと思います。ラーメンのスープを残して「替え玉」を注文すると、麺だけを茹でて提供してくれます。
福岡市周辺では「インドカレー専門店」にも「替えナン」というものがあります(どこにでもあるわけでは、ありません)。ヨソの人から見れば意表を突いたメニューでも、替え玉文化圏にいると普通に見えるから不思議です。
ミルクとコーヒーは大変相性がよく、「コーヒーの歴史が始まって以来、ミルクとコーヒーは友達でした」と言いたい所ですが、伝統的なコーヒーの淹れ方である、小鍋にコーヒーの粉を入れて煮出すトルコ式では、粉が混じっていてカフェ・オ・レにするのは少し厄介です。
ある時ラジオをつけっぱなしでうたた寝している時に、なにか聞き覚えのある曲が流れてきました。寝ぼけたまま「タンタンたぬき♪」と悟った私は、まさに反射的にガバッと飛び起きて、すぐにラジオ局サイトのタイムテーブルで、曲名を検索しました。
状況につられて、新型肺炎関連の記事を書き始めましたが、こういう時こそ,コーヒーの価値を再認識したいと思い直し、映画の話を。「ひとときの浮き世離れで鋭気を養い、現実の世界へ再突入」というのが、コーヒータイムの価値だと思います。
何気なくネット検索をしてみると、「フランスの有名陶器メーカービレロイ&ボッホ社の子息で……」とあり、興味をひかれました。
この鍋料理の食べ方は、塩を入れずに椎茸の出し汁とゴマ油だけで煮込んだ白菜と肉類を、取り皿で薄い塩味をつけながら食べます。自然に、塩味のあるところと、ないところが交互に現れることになり、
扁炉鍋は、舞台美術家・妹尾河童氏のエッセイ集「河童のスケッチブック」(1999年第1版)で初めて紹介され、「中国大陸に長く住んでいた人が
「河童のスケッチブック」ではおかしなことが書いています。 椎茸のだし汁を捨てないと2度も強調していますが、この場面でだしを捨てる人などいるのでしょうか。
昭和の戦前から「吾らのテナー」として知られた、テナー歌手藤原義江氏は、今やSP時代の音源でしか聴くことは出来ませんが、かうひい屋も含めて年配の方は(名前は)よく知っている存在でした。
夏になると、法要のために福岡県柳川市を訪ねます。季節柄、「かき氷でも食べようか」と言うことも多く、かつ柳川は、水郷の町、北原白秋や、城下町を売りにす
スウェーデンのグスタフ3世は、コーヒーとティーの有毒性を証明するために、死刑囚を使って実験することにしました。
ドイツ語でkaffeeを検索してみれば、Beethoven Kaffee または Bach Kaffee などという店名や商品名が出てきます。そうでした、バッハは「コーヒー・カンタータ」を作曲しているくらいコーヒーには馴染みがありますし、かうひい屋でも何度か文章にしたことがあります。
コーヒー豆の焙煎度(煎った度合い)は、一般に8つの段階で表現されます。 さらに深煎りの7.フレンチ・ローストや8.イタリアン・ローストになると、エスプレッソ・コーヒーとして使われるほかは、苦み走ったアイスコーヒー用などとして使われ、
かうひい屋では,アイスコーヒーのことを「冷たい珈琲」と呼んでいました。当店の普通の暖かいブレンド、イタリアン・アロマ・ブレンドをつめたく冷やしたという意味で、当店では暖かい用のブレンドとアイス用のブレンドの区別がありませんでした。
「降雨の現況」を知るために頼りにしていたのがXRAIN(エックスレイン)で、「地図上に雨量をリアルタイムで表示する」サイトです。災害時のみならず 、日常生活にも役立つサイトです。
前日の夜にアップされた、英彦山「四王寺の滝」の凍結の様子でした。まさに日本画のような、見事な雪景に驚きました。掲載していたブログ「英彦山からの便り」の当日の記事によると、
二人の男女の像は、かうひい屋の完全オリジナルではありません。右の男性はアールヌーボー時代のカリカチュアからの模写、女性は一応かうひい屋のオリジナルと言えます。
何年か前、漫画家の松尾龍之介氏が当店に立ち寄られたことがあります.その時のお話です。
かうひい屋には、「珈琲の話」と題した小冊子を作ってカウンターに置いていました。
さて、お問い合わせの件ですが、おっしゃるようにまさしくパイプでございます。 当時ヨーロッパではやっていた、「クレーパイプ」と呼ばれるものです。 その名の通り、白い粘土を焼いてできており、折れたものや欠けたものなどたくさんの破片が出島の発掘調査では出土いたし
かうひい屋の名前の由来となった「かうひい」の記述がある、江戸時代の京都の医師・広川獬(かい)が 著した「長崎聞見録」。最近は複数のサイトで本書の画像が公開されています。
テーブルの上にはカップの他、シュガーポット、ボール、ミルクピッチャーとおぼしき磁器、そして右側には背の高いポットがあります。
きゅうすスキッターをコーヒーポットにつけて、安定した点滴状態を作り出すことが出来ます。
現在の安定形です。奥行きを深くして、ポットの内面とワイヤーの接触部分を多くした結果、柔らかなバネでも安定するようになりました。
グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)とは、Grandma Moses で画像検索をすれば、きれいな絵がどやどやと出てきます。アメリカで知らない人はいないといわれるほど人気の画家でした。
この絵にコーヒーが登場する理由は、創作過程にあります。最初に想像していた以上に、コーヒーはこの絵の中で大きなファクターでした。……
かうひい屋のコーヒー豆の袋に貼っていた、当店のロゴマークのシールが、残り数十枚になりました。そこで急遽、左のようなシールを作成しました。以前より小型になりました。実は、2018年6月の閉店時点では、2000枚ほどの残りがあったのですが、
妖艶なお母さんが何か食品を混ぜていて、側にはNESTLÉ'S MILK FOODの缶。これはネスレが開発して発売し、すでに国際的な成功をおさめていた……
最近、お客様から「よく淹れるのはマンデリン……」という話を伺いました。
「マンデリンが好き」
「コーヒーの酸味が苦手で……」
この2つのキーワードは、かうひい屋ではよく話題が広がるテーマでした。
ある人が、アイスクリームに濃厚なコーヒーをかけて食べてみたところ「おお、旨い!!」ということになり、人々の間に一気に広がっていった、 そんなことを想像させる、メニューです。
かうひい屋がグラニテを知ったのは約30年前、かうひい屋開店の頃でした。「(古代)ローマの食卓」と言う本で、果物のジュースを雪と塩を使って凍らせ、欠き砕いた物ということでした。
お客様と話をしていて「私は時々朝に、砂糖で甘くした牛乳を温めて、別々のカップでコーヒーと牛乳を交互に飲む」 と言う話をしたところ、興味を持ってもらえました。