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2020-03-11 ゴッホとコーヒーカップ

ゴッホとボッホ

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 ヴィンセント・ファン・ゴッホが1888年に描いた 「ウジェーヌ・ボッホまたは詩人」の当人について、何気なくネット検索をしてみると、「フランスの有名陶器メーカービレロイ&ボッホ社の子息で……」とあり、興味をひかれました。

ウジェーヌ・ボッホ
1888年

ヴィレロイ & ボッホ
当店のヴィレロイ & ボッホ

 当店にフランスの ビレロイ&ボッホ社のコーヒーカップが一つありました。ヨーロッパ旅行のお土産で、頂き物でした。俄然親しみがわきます。

ゴッホとボッホ姉弟

 引き続き検索していくと、面白い話題が色々と出てきましたので、ご報告してみたいと思います。文章が少々散漫になる嫌いはありますが、お付き合いいただければ幸いです。

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要約すると、
  1. ゴッホが描いた「ウジェーヌ・ボッホ」はフランスの陶器メーカー ボッホ社の息子だった。
  2. その姉アンナ・ボッホも画家で、ゴッホの生涯でたった一枚売れた絵「赤いブドウ畑」を買った人だった。
  3. 「赤い葡萄畑」の赤は病害虫の赤?
  4. アンナ・ボッホはこんな絵も描いていた……。
  5. Boch はどうよむのか
といった内容です。

ビレロイ&ボッホ社

ヴィレロイ & ボッホ
ビレロイ& ボッホ

 ビレロイ&ボッホはフランスの長い伝統を持つ陶器メーカーです。1700年代中庸に、フランスとドイツとの国境地域ロレーヌ地方にドイツ人のボッホが陶器製造業を始め、1836年、ライバルであったビレロイと合併しました。その直後、ボッホ家の息子ユージン・ボッホとビレロイ家の娘オクタビー・ビレロイが恋に落ち、結婚して(金婚式を迎えるような)平和な家庭を永く築いて、両者の間は一層堅固なものになり、今日にいたる……と言うことです。

ウジェーヌ・ボッホ
ウジェーヌ・ボッホ

 ゴッホの友人ウジェーヌ・ボッホは、ユージン・ボッホの甥になります。

 ゴッホとウジェーヌ・ボッホは1888年アルルで知り合い、肖像画もその時のものです。

 ゴッホの「黄色い部屋」3部作の最初のバージョンには、ベッド脇の壁にこの肖像画が掛けられています。

黄色い部屋
1888年

 肖像画のタイトルが「詩人」となっていますが、画家で、フランスの官制展覧会(サロン)で何度も入選しています。ゴッホは彼の印象を「詩人」と受け取り、「背景は、この安物のアパートの風景ではなく、『無限大』の背景にした」と弟テオに手紙で語っています。

 この肖像画は1890年、ゴッホが亡くなった時に義妹(弟テオの妻)によってウジェーヌ・ボッホ本人に寄贈され、大切にされていたようです。約50年後、ウジェーヌ・ボッホが亡くなったときに国に寄贈されました。

「ゴッホのたった1枚」を買った人

ウジェーヌ・ボッホの姉アンナ・ボッホはやはり画家で、「ゴッホの生涯で売れた、たった一枚の絵」を購入した人です。ボッホ姉弟はベルギーの芸術活動「20人会」に積極的に関わり活動していましたが、「20人会」の展覧会にゴッホの「赤い葡萄畑」が出品され、アンナ・ボッホが400フランで購入したと言うことです。

赤い葡萄畑
1888年

「重箱の隅をつつく」話になりますが、この絵は「たった一枚売れた絵」として有名ですが、ゴッホが弟テオに宛てた手紙には、1888年初頭にゴッホ自身が肖像画を20フランで売ったという報告があるそうです。そこで現在では「ゴッホの生涯で、公式に売れたたった一枚の絵」という言い方が多くなっています。

「赤い葡萄畑」の赤は病害虫の赤?

さて、「赤い葡萄畑」は、「夕日に照らされて、葡萄畑が赤い」印象がありますが、フランス語のWikipediaによるとこの赤は, 19世紀の後半にフランスの農家を襲ったフィロキセラ(日本名・ブドウネアブラムシ)という病害虫による被害が示唆されています。この作品の翌年の1889年のワインの収穫量は、1875年の3分の1にまで落ち込んだと言うことです。

同じくWikipediaの「フィロキセラ」の項目でも、ゴッホの「赤い葡萄畑」の絵が取り上げられて、同じ説明がつけられています。

 そう言えば、この絵の強烈な赤は、前景の畑の部分のみにとどまり、遠景の太陽の近くや、右の川?の部分にはほとんど使われていないことに気が付きます。

アンナ・ボッホはこんな絵も描いていた

スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」

 アンナ・ボッホが属するベルギーの「20人会」では、現代美術の新しい潮流を取り入れることに熱心で、印象派の技法のほか、新印象派と言われていた若いジョルジュ・スーラを招聘して点描の技法を学んだりしています。

 アンナ・ボッホの作品には、下図のような点描で描いた作品も多く見られます。

Pendant l'élévation
1893

 また、印象派を思わせる作風や、フランスのWikipediaでただ一枚紹介されていた左図「水を運ぶ人」には、植物などにゴッホを思わせる思い切った筆の動きが見られ、「赤い葡萄畑」の購入も共感を感じて購入にいたったものであろうと、想像されます。

水を運ぶ人
年代不詳

Bochはどう読むのか

 Bochは、ボック(英語)ともボッホ(ドイツ語オランダ語)とも発音されています。フランス語ではボッシュと聞こえます。陶磁器メーカー Villeroy & Boch 社は、日本語では「ビレロイ&ボッホ」と表記しています。日本語で読む参考文献の中では、陶器メーカーの名前以外はボックとしているものが多いのですが、このページでは、ビレロイ&ボッホ社とボッホ姉弟の関係説明や、ゴッホとボッホとシャレにしたかったのもあって、ボッホで統一しました。

ビレロイ&ボッホについて(ビレロイ&ボッホ社の歴史)
ウジェーヌ・ボッホ ドットコム eugeneboch.com/
ゴッホの写真は19才の頃の1枚しか残っていないと言われるが、このページにはウジェーヌ・ボッホが所有していたというアルル時代のゴッホの写真がある。
アンナ・ボッホ ドットコム
The Athenaeum -- Anna Boch
ゴッホの手紙のページ(Van Gogh Museum・アムステルダム)
赤い葡萄畑 × グルナッシュ(後編)(名画のワインリスト)
ゴッホの手紙による「赤い葡萄畑」の収穫の時期に着目して、「当年は冷夏だった」と気温のグラフつきで論じる。
人間の惨めさ(ワインの収穫または貧困・ゴーギャン)
アルルを訪ねたゴーギャンがゴッホと同じ場所で描いた作品
https://hu.wikipedia.org/wiki/Filox%C3%A9ra?oldformat=true