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ヴィンセント・ファン・ゴッホが1888年に描いた 「ウジェーヌ・ボッホまたは詩人」の当人について、何気なくネット検索をしてみると、「フランスの有名陶器メーカービレロイ&ボッホ社の子息で……」とあり、興味をひかれました。
当店にフランスの ビレロイ&ボッホ社のコーヒーカップが一つありました。ヨーロッパ旅行のお土産で、頂き物でした。俄然親しみがわきます。
引き続き検索していくと、面白い話題が色々と出てきましたので、ご報告してみたいと思います。文章が少々散漫になる嫌いはありますが、お付き合いいただければ幸いです。
.ビレロイ&ボッホはフランスの長い伝統を持つ陶器メーカーです。1700年代中庸に、フランスとドイツとの国境地域ロレーヌ地方にドイツ人のボッホが陶器製造業を始め、1836年、ライバルであったビレロイと合併しました。その直後、ボッホ家の息子ユージン・ボッホとビレロイ家の娘オクタビー・ビレロイが恋に落ち、結婚して(金婚式を迎えるような)平和な家庭を永く築いて、両者の間は一層堅固なものになり、今日にいたる……と言うことです。
ゴッホの友人ウジェーヌ・ボッホは、ユージン・ボッホの甥になります。
ゴッホとウジェーヌ・ボッホは1888年アルルで知り合い、肖像画もその時のものです。
ゴッホの「黄色い部屋」3部作の最初のバージョンには、ベッド脇の壁にこの肖像画が掛けられています。
肖像画のタイトルが「詩人」となっていますが、画家で、フランスの官制展覧会(サロン)で何度も入選しています。ゴッホは彼の印象を「詩人」と受け取り、「背景は、この安物のアパートの風景ではなく、『無限大』の背景にした」と弟テオに手紙で語っています。
この肖像画は1890年、ゴッホが亡くなった時に義妹(弟テオの妻)によってウジェーヌ・ボッホ本人に寄贈され、大切にされていたようです。約50年後、ウジェーヌ・ボッホが亡くなったときに国に寄贈されました。
ウジェーヌ・ボッホの姉アンナ・ボッホはやはり画家で、「ゴッホの生涯で売れた、たった一枚の絵」を購入した人です。ボッホ姉弟はベルギーの芸術活動「20人会」に積極的に関わり活動していましたが、「20人会」の展覧会にゴッホの「赤い葡萄畑」が出品され、アンナ・ボッホが400フランで購入したと言うことです。
「重箱の隅をつつく」話になりますが、この絵は「たった一枚売れた絵」として有名ですが、ゴッホが弟テオに宛てた手紙には、1888年初頭にゴッホ自身が肖像画を20フランで売ったという報告があるそうです。そこで現在では「ゴッホの生涯で、公式に売れたたった一枚の絵」という言い方が多くなっています。
さて、「赤い葡萄畑」は、「夕日に照らされて、葡萄畑が赤い」印象がありますが、フランス語のWikipediaによるとこの赤は, 19世紀の後半にフランスの農家を襲ったフィロキセラ(日本名・ブドウネアブラムシ)という病害虫による被害が示唆されています。この作品の翌年の1889年のワインの収穫量は、1875年の3分の1にまで落ち込んだと言うことです。
同じくWikipediaの「フィロキセラ」の項目でも、ゴッホの「赤い葡萄畑」の絵が取り上げられて、同じ説明がつけられています。
そう言えば、この絵の強烈な赤は、前景の畑の部分のみにとどまり、遠景の太陽の近くや、右の川?の部分にはほとんど使われていないことに気が付きます。
アンナ・ボッホが属するベルギーの「20人会」では、現代美術の新しい潮流を取り入れることに熱心で、印象派の技法のほか、新印象派と言われていた若いジョルジュ・スーラを招聘して点描の技法を学んだりしています。
アンナ・ボッホの作品には、下図のような点描で描いた作品も多く見られます。
また、印象派を思わせる作風や、フランスのWikipediaでただ一枚紹介されていた左図「水を運ぶ人」には、植物などにゴッホを思わせる思い切った筆の動きが見られ、「赤い葡萄畑」の購入も共感を感じて購入にいたったものであろうと、想像されます。
Bochは、ボック(英語)ともボッホ(ドイツ語オランダ語)とも発音されています。フランス語ではボッシュと聞こえます。陶磁器メーカー Villeroy & Boch 社は、日本語では「ビレロイ&ボッホ」と表記しています。日本語で読む参考文献の中では、陶器メーカーの名前以外はボックとしているものが多いのですが、このページでは、ビレロイ&ボッホ社とボッホ姉弟の関係説明や、ゴッホとボッホとシャレにしたかったのもあって、ボッホで統一しました。
かうひい屋の珈琲ゼリーは「カップゼリー」と称してきました。柔らかく作っているので、別皿の上にひっくり返すと形が崩れてしまいます。
最近、モーツァルトの姉のマリア・アンナ・モーツァルト(通称ナンネル)のダンナの肖像画に、コーヒーカップを見つけました
かうひい屋のメニューには、冷たいコーヒーとして「オ・レ・グラッセ」というのがありました。下はシロップが入った甘いミルク、上はブラックのままの冷たいコーヒーです。トップにクリームを流して仕上げます。
東急ハンズの池袋店が今年(2021年)9月に閉店するそうです(3月19日新聞)。東急ハンズの実店舗に行ったことがない私も、池袋店には思い出があります。
そうした記事の中で、アメリカの感染症専門医の話として「朝の一杯のコーヒーを飲むと、朝食中に味と匂いの喪失が検出される可能性がある」というのがありました。
これはおそらく、砂糖入りや、ミルク入りではない、ブラックコーヒーで、より有効だろうと思います。
かうひい屋の、開店以来の人気商品に「珈琲のババロア」がありました。当店が得意とする深煎り珈琲のエキスを生かした、卵と生クリームを使った冷菓です。
閉店後、あるお客様に「いつか『珈琲のババロア』のレシピをご披露しましょうね」と話していました。
「福岡ではこうやってニンニクを潰して…………」と、ギュッと力を入れると、「あ゛っ!」という声がしました。顔を上げると、私の目の前で、店主さんがしかめ面をして、指で目をこすっていました。ニンニクの汁が飛んだようです。
昨日は、コーヒー豆の発送の日でした、
かうひい屋では、郵便局のレターパックは、実店舗の営業時代は、ヤマト運輸の補助として、少数ながら月に何度か使っていましたし、付き合いは長いのですが、箱を折ってきれいな箱形を作るのがどうも苦手で、いつも歪(いびつ)な出来上がりになっていました。
福岡市周辺のラーメン文化の、一つの特徴は「替え玉」だと思います。ラーメンのスープを残して「替え玉」を注文すると、麺だけを茹でて提供してくれます。
福岡市周辺では「インドカレー専門店」にも「替えナン」というものがあります(どこにでもあるわけでは、ありません)。ヨソの人から見れば意表を突いたメニューでも、替え玉文化圏にいると普通に見えるから不思議です。
ミルクとコーヒーは大変相性がよく、「コーヒーの歴史が始まって以来、ミルクとコーヒーは友達でした」と言いたい所ですが、伝統的なコーヒーの淹れ方である、小鍋にコーヒーの粉を入れて煮出すトルコ式では、粉が混じっていてカフェ・オ・レにするのは少し厄介です。
ある時ラジオをつけっぱなしでうたた寝している時に、なにか聞き覚えのある曲が流れてきました。寝ぼけたまま「タンタンたぬき♪」と悟った私は、まさに反射的にガバッと飛び起きて、すぐにラジオ局サイトのタイムテーブルで、曲名を検索しました。
状況につられて、新型肺炎関連の記事を書き始めましたが、こういう時こそ,コーヒーの価値を再認識したいと思い直し、映画の話を。「ひとときの浮き世離れで鋭気を養い、現実の世界へ再突入」というのが、コーヒータイムの価値だと思います。
何気なくネット検索をしてみると、「フランスの有名陶器メーカービレロイ&ボッホ社の子息で……」とあり、興味をひかれました。
この鍋料理の食べ方は、塩を入れずに椎茸の出し汁とゴマ油だけで煮込んだ白菜と肉類を、取り皿で薄い塩味をつけながら食べます。自然に、塩味のあるところと、ないところが交互に現れることになり、
扁炉鍋は、舞台美術家・妹尾河童氏のエッセイ集「河童のスケッチブック」(1999年第1版)で初めて紹介され、「中国大陸に長く住んでいた人が
「河童のスケッチブック」ではおかしなことが書いています。 椎茸のだし汁を捨てないと2度も強調していますが、この場面でだしを捨てる人などいるのでしょうか。
昭和の戦前から「吾らのテナー」として知られた、テナー歌手藤原義江氏は、今やSP時代の音源でしか聴くことは出来ませんが、かうひい屋も含めて年配の方は(名前は)よく知っている存在でした。
夏になると、法要のために福岡県柳川市を訪ねます。季節柄、「かき氷でも食べようか」と言うことも多く、かつ柳川は、水郷の町、北原白秋や、城下町を売りにす
スウェーデンのグスタフ3世は、コーヒーとティーの有毒性を証明するために、死刑囚を使って実験することにしました。
ドイツ語でkaffeeを検索してみれば、Beethoven Kaffee または Bach Kaffee などという店名や商品名が出てきます。そうでした、バッハは「コーヒー・カンタータ」を作曲しているくらいコーヒーには馴染みがありますし、かうひい屋でも何度か文章にしたことがあります。
コーヒー豆の焙煎度(煎った度合い)は、一般に8つの段階で表現されます。 さらに深煎りの7.フレンチ・ローストや8.イタリアン・ローストになると、エスプレッソ・コーヒーとして使われるほかは、苦み走ったアイスコーヒー用などとして使われ、
かうひい屋では,アイスコーヒーのことを「冷たい珈琲」と呼んでいました。当店の普通の暖かいブレンド、イタリアン・アロマ・ブレンドをつめたく冷やしたという意味で、当店では暖かい用のブレンドとアイス用のブレンドの区別がありませんでした。
「降雨の現況」を知るために頼りにしていたのがXRAIN(エックスレイン)で、「地図上に雨量をリアルタイムで表示する」サイトです。災害時のみならず 、日常生活にも役立つサイトです。
前日の夜にアップされた、英彦山「四王寺の滝」の凍結の様子でした。まさに日本画のような、見事な雪景に驚きました。掲載していたブログ「英彦山からの便り」の当日の記事によると、
二人の男女の像は、かうひい屋の完全オリジナルではありません。右の男性はアールヌーボー時代のカリカチュアからの模写、女性は一応かうひい屋のオリジナルと言えます。
何年か前、漫画家の松尾龍之介氏が当店に立ち寄られたことがあります.その時のお話です。
かうひい屋には、「珈琲の話」と題した小冊子を作ってカウンターに置いていました。
さて、お問い合わせの件ですが、おっしゃるようにまさしくパイプでございます。 当時ヨーロッパではやっていた、「クレーパイプ」と呼ばれるものです。 その名の通り、白い粘土を焼いてできており、折れたものや欠けたものなどたくさんの破片が出島の発掘調査では出土いたし
かうひい屋の名前の由来となった「かうひい」の記述がある、江戸時代の京都の医師・広川獬(かい)が 著した「長崎聞見録」。最近は複数のサイトで本書の画像が公開されています。
テーブルの上にはカップの他、シュガーポット、ボール、ミルクピッチャーとおぼしき磁器、そして右側には背の高いポットがあります。
きゅうすスキッターをコーヒーポットにつけて、安定した点滴状態を作り出すことが出来ます。
現在の安定形です。奥行きを深くして、ポットの内面とワイヤーの接触部分を多くした結果、柔らかなバネでも安定するようになりました。
グランマ・モーゼス(モーゼスおばあちゃん)とは、Grandma Moses で画像検索をすれば、きれいな絵がどやどやと出てきます。アメリカで知らない人はいないといわれるほど人気の画家でした。
この絵にコーヒーが登場する理由は、創作過程にあります。最初に想像していた以上に、コーヒーはこの絵の中で大きなファクターでした。……
かうひい屋のコーヒー豆の袋に貼っていた、当店のロゴマークのシールが、残り数十枚になりました。そこで急遽、左のようなシールを作成しました。以前より小型になりました。実は、2018年6月の閉店時点では、2000枚ほどの残りがあったのですが、
妖艶なお母さんが何か食品を混ぜていて、側にはNESTLÉ'S MILK FOODの缶。これはネスレが開発して発売し、すでに国際的な成功をおさめていた……
最近、お客様から「よく淹れるのはマンデリン……」という話を伺いました。
「マンデリンが好き」
「コーヒーの酸味が苦手で……」
この2つのキーワードは、かうひい屋ではよく話題が広がるテーマでした。
ある人が、アイスクリームに濃厚なコーヒーをかけて食べてみたところ「おお、旨い!!」ということになり、人々の間に一気に広がっていった、 そんなことを想像させる、メニューです。
かうひい屋がグラニテを知ったのは約30年前、かうひい屋開店の頃でした。「(古代)ローマの食卓」と言う本で、果物のジュースを雪と塩を使って凍らせ、欠き砕いた物ということでした。
お客様と話をしていて「私は時々朝に、砂糖で甘くした牛乳を温めて、別々のカップでコーヒーと牛乳を交互に飲む」 と言う話をしたところ、興味を持ってもらえました。