コーヒーの話 3月号附録 Youtubeを参考に
今月は、「蛍の光」、「小ギツネ(こぎつねこんこん)」、「むすんでひらいて」が、どのように日本に流れ着いたのか、youtubeの動画を参考に考えてみたいと思います。
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蛍の光
「蛍の光」の原曲はスコットランド民謡「Auld Lang Syne」。
イギリスは伝統を重んじるが、研究も良くする。他のヨーロッパ諸国では19世紀に民族主義が興って民謡の研究が始まったが、イギリスではその数十年前の18世紀中葉に民謡の収集と、楽譜の出版が行われた。そのため、この曲が世界中に広がって歌われるようになっても、旋律は変わらなかった。
リズムの変遷
しかし、リズムは変わった。2拍子から、4拍子へ、そして3拍子とヴァリエーションが増えていった。19世紀の初頭には、イギリスの楽譜出版業者は外国(ドイツ)の有名作曲家ハイドンやベートーヴェンに民謡の編曲を依頼して、出版している。この時は2拍子であった。(1.ハイドンの編曲
ベートーヴェンの蛍の光※ ベートーヴェンの作品の方が工夫を凝らしているように見えるが、先行したしたハイドンの作品を参考に、変化をつけたとみられている。
19世紀末に日本に伝わったこの曲は、明治14年に「小学唱歌 初級」で「蛍」として紹介されているが、この時は4拍子で、現在学校などで歌われる姿になっている。(3.現代の Auld Lang Syne)
閉店の音楽
3拍子の「蛍の光」の初出は1940年のアメリカ映画「哀愁」だった。日本では閉店の音楽として定着した。
映画の中では、ダンスホールの閉店の時間に、店の主人から「さあ、最後に踊りましょう」と 離席してダンスすることを促し、この時に「蛍の光」」が3拍子のワルツで流れる。
この映画は約10年後、第二次大戦後になって日本で上映され、古関裕而氏が編曲をして「別れのワルツ」として知られ、ロングヒットとなった。
パチンコ店や大型店舗で閉店の音楽として「蛍の光」が流れる場合は、ワルツのリズムで、映画中の閉店の場面に感化されている。
モルダウと「子ぎつね」のDNA
※ 注:「モルダウ」川はドイツ語起原の呼び方で、地元チェコでは「ヴルタヴァ川」と呼ばれ、今日ではチェコの作曲家スメタナの交響詩「モルダウ」は、「ヴルタヴァ」と呼ぶのが一般になっている。 スメタナ作曲:ヴルタヴァ
「蛍の光」の原曲は、18世紀に民謡として収集され、楽譜によって標準化され、以後旋律が変わらなかった例であったが、チェコの作曲家スメタナの「ヴルタヴァ」のテーマは、17世紀イタリアの歌謡を原曲とし、それは何の制約を受けることもなく、周辺国に広がっていった。「蛍の光」とは対照的な経緯を辿っている。
交響詩「ヴルタヴァ」の主要旋律はイタリアの1645年の流行歌「ラ・マントヴァーナ」とされる。
この旋律が各国に広がって、民謡や子供の歌に自由に改変され、一見原曲から遠いと思われものもみられる。 むしろ比較民俗音楽学の研究者の手によってそれぞれの曲の流れが解明されて、同じDNAを解明されてきた。
この曲が研究対象となった理由は、「ヴルタヴァ」として有名な旋律である事はもとより、同じ流れにあるルーマニア民謡が「イスラエル国歌」の原型として取り上げられたことが大きいであろう。
当然、「ヴルタヴァ」と「イスラエル国歌」が似通っていることは、ユダヤ人も分かっていて、音楽の演奏が許されていたチェコのユダヤ人強制収容所では、「ヴルタヴァ」が「国歌の代わり」のつもりで演奏されていた、という話がある(公式記録ではない)。
「ラ・マントヴァーナ」のDNAの研究は、第二次大戦後の比較民族音楽学の重要な研究対象となっている。
- 交響詩「ヴルタヴァ」
- スメタナ作曲 交響詩「我が祖国」より第2曲「ヴルタヴァ」
- ラ・マントヴァーナ
- 原曲となったイタリアの流行歌 最も古い楽譜は1645年
- スウェーデン民謡
- チェコ民謡(スメタナの祖国)
- ウクライナ民謡
- ルーマニア民謡
- この曲がイスラエル国歌の原型になったとされている。
- イスラエル国歌(ルーマニア民謡より)
- サン=サーンス作曲「ブルトン狂詩曲」
- ブルトン(ブルターニュ)の民謡を素材とした。スメタナの作曲より、20年早い。
- ドイツの子供の歌(狐ががちょうを盗んだ)
- 日本 「子ぎつね」作詞:勝承夫
「小ぎつね」
「ブルタヴァ」の系譜の中に、日本の童謡「小ぎつね」が含まれていることは、私たちの耳目を引く。 西洋から日本に伝わった歌は、原曲の歌詞の内容を無視して、日本の情緒に変えてしまうことも多いが、この曲の場合は原曲のドイツ語歌詞が狐を歌った子供の曲である事を受けて、やはり狐の歌として作詞している。
「小ぎつね」では、「こぎつね こんこん やまのなか やまのなか」と日本語の抑揚を逆転させて、狐の化け物としての頓狂な世界を表している。
また、「お化粧したり……かんざし」と、女児向けに作られているのも、当時として、特徴的であるらしい(昭和22年)。
むすんでひらいて
「むすんでひらいて」は、哲学者のジャン・ジャック・ルソー作曲の喜歌劇「村の占い師」(1752年)の第8場パントマイムの伴奏音楽がもとになっている、とされている(Wikipedia)。 しかし該当部分を聞いてみても「むすんでひらいて」には遠いと言わざるを得ない。
ルソー作曲 喜歌劇「村の占い師」より 第8場 パントマイム「むすんでひらいて」のメロディがはっきりと出現するのは、1812年に出版された、クラマーという作曲家の「ルソーの歌による序奏と変奏曲」である。クラマーは、ピアノ教則本など、多数の作品を残している。
日本では「むすんでひらいて」のメロディを「ルソー作曲」と紹介する例と「クラマー作曲」としている例がある。
問題は、クラマーの変奏曲以前に、ルソーの音楽から「むすんでひらいて」の旋律に至る連続した資料が少ないことだ。
「蛍の光」のベートーヴェン編曲がイギリスで出版されたように、フランスでもサロン向けの楽譜出版が盛んであった。そうした中で、人気オペラの一部を編曲改変した小作品が多数流布されたものとみられる。
ルソーの「村の占い師」は、大変な人気作で、当時の国王ルイ15世からお呼びがかかったほどだった(ルソーは応じなかった)。また、ルイ16世とマリー・アントワネットの結婚式でも上演されたという。 歌劇は英語で改作されて、イギリスで上演され、そのほかにも作者不詳の同作があるらしい。
「メリッサ」部分的には8場のパントマイムの管弦楽の部分が、「メリッサ」としてギター、ハープ伴奏の歌として流行した。
イギリス、アメリカ、日本
クラマーの作品で原型が見られた以降は、どのように広がっていったのかが興味の対象となる。19世紀中葉ころからは、イギリスを初めアメリカなど、各国で歌われるようになっている。
イギリスでは聖歌として歌われ、
イギリスの聖歌 Lord, Dismiss Us with Thy Blessingアメリカでは「むすんでひらいて」の前半部分だけが繰り返し歌われ、
「ローディおばさんに言っといで
ローディおばさんに言っといで
ローディおばさんに言っといで
灰色のがちょうが死んだってさ」
と不気味な曲になっていて、ホラー映画のBGMにも使われた。
日本では、
明治7年にキリスト教の聖歌として流入したが、
明治14年に「見わたせば」のタイトルで、唱歌として歌われたが、あまり広がらなかったという。
ついで明治28年日清戦争時に、同じ「見わたせば」のタイトルで軍歌に改変される。
キリスト教の聖歌は、いつしか歌われなくなったそうである。
遊戯歌としての「むすんでひらいて」
「むすんでひらいて」の元歌は、実に50年もの間 軍歌であったが、面白いのは、この歌を学校で教えるときに、子供達に遊戯をさせていたと言うことである。
第二次大戦直後の1947年に小学校1年生の教科書に掲載された「むすんでひらいて」は遊戯歌であるが、その前身は軍歌であったとは、子供の歌の歴史の中でも、特に興味深いエピソードである。



